遠くから見ているだけ。
言葉を交わすことはない。
ましてや触れ合うことなんか、ない。
確かなものは、正反対の立場にいるということ。
それと、絶対的な距離。
valentine rhapsody
辺りが翳りを帯びたことで、天空に君臨する月を仰ぎ見た。
上空は風が早いのを示すように、暗雲がみるみる立ち込めていく。そして、夜の守護者である月を隠した。
「……同じ…だな…」
あの夜の、あの時と。
嫌な予感が胸いっぱいに広がって、息もできないほど苦しくなった。
何が起きるのかわからなかったが、彼に関していることだという直感に打ちのめされる。当然といえば当然だ。自分がいたのは彼の逃走経路だったから。
ただ必死に走った。
彼が羽を休ませる中継地点へと。今までは、決して近づこうとはしなかったけれど。
敵―――それも、暗殺を目的とするプロの集団と闘っていることは知っている。常に命の危険に瀕しながらも、信念を持って怪盗をやっていることを。
ずっと見ていたから。自ずと、彼の目的はわかった。
たった独りで戦い続ける、誇り高いひと。
誰に対しても感情の湧かなかった心を、満たしてくれた存在。だから、絶対に失うことなどできない。
「っ?!」
暗闇を切り裂くように落ちていく、白い影。
息が止まる。
激しく鼓動を打つ胸を鷲掴む。
冷たい汗が額から流れ落ちる。
震えだす体。
全身から力が抜けていく。
「…ま……っさか……死……」
言いかけて、言霊になるのを恐れて口をつぐんだ。
「し…っかりしろ…!」
嫌な予感ごと振り払うように、両頬を叩く。大きく息を吸い込んで、呆然と立ちすくんでいた足を動かす。
遠くでパトカーのサイレンの音が響いている。きっと、警察の連中も目撃していて、駆けつけようとしているのだ。
走るスピードは自然と上がる。
落ちたであろう地点は白い影の軌跡から割り出した。おおよそのところまでくると、気配を消して闇に身を潜めながら彼を捜す。
どこにいるかわからない彼の敵。
闇に蠢く組織の連中だから、警察の気配には敏感。多分、いないだろうが油断はできない。
人の気配をさぐる。
神経を張り詰めて、闇に溶け込んでいる気配を。でも、探り当てたのは微かな血の匂い。
「KID!」
狭い路地
に走りこんで、形振り構わずに叫んだ。
漆黒を塗り固めた暗闇が揺らいで、ぼんやりと浮かぶ白。
隠されていた月が再び天空に君臨し、闇を打ち払ってゆく。それと共に、如実になる捜し求めていたひと。
駆けよって、息を呑む。
何ものにも染まらない孤高を現す純白は朱に汚され、彼の受けた打撃を思い知る。
壁に寄りかかるようにして気を失っている姿など初めてで、目の前が真っ暗になる錯覚に陥った。
「……う…っ…」
荒い息遣いに我に返って、怪我の個所を粒さに調べる。
一番出血が酷い左肩をハンカチできつく縛り上げ、腹部の傷を調べようとした時。
伸ばした手は、やんわりと退けられた。
「あ……」
顔を上げると、シルクハットの影から見つめている瞳と出会う。
手負いの獣のようにギスギスとしていると思ったのに、そこにはひどく優しい眼差しがあった。
「手、汚れますよ」
さっきまでの息の荒さもなく、激痛に苛まれているはずなのに伺い見せるようなこともなく。
ただ静かに告げて、音もなく立ち上がった。
「KID!無茶だ…っ」
二箇所の被弾に、墜落する際うまい具合に受身を取ったのだろうが、それでもマントの擦過傷からわかる至る所の打撲。
動いたことで、止血しているハンカチは朱に染まっていって。堪り兼ねて叫んでしまった。
けれど。
「ご面倒をお掛けしました。名探偵の情けには感謝します」
彼は何事もなかったかのように一礼すると、そのまま消えた。
思い知らされる、自分たちの立場の違い。
決して縮まることのない絶対的な距離。
どんなにこちらから歩み寄っても、近づいた分遠ざかっていく。
嫌われてはいないはず。
ポーカーフェイスのプロだから感情を瞳に乗せることなどしないけど、眼差しはいつもやわらかいから。
だからといって、好かれているとも言えない。
あんな大怪我をしても、その身を委ねてくれない。身も凍るほど心配したのに、"情け"の一言で済ませるくらいだから。
「ああ、工藤くん。ここにいたんですか!」
騒々しい音をたてて大仰にやって来た男。
強引に、今夜のこの現場へと引っ張ってきた張本人。表面的には。
「さすがですね!KIDが現れる前から抜かりなく張り込んでいるとは!」
そうではないけど、勝手に誤解させておく。
まさか、お前といたくないからだなんて言える筈もないし。この男ほど、他人から好意をもたれていると信じて疑わないのも珍しい。
うらやましいとは思わないが、そうやって厚顔で突き進んでいけば彼との距離は縮まるだろうか。
「工藤くん、日付が変わりました。今日が何の日か知ってますか?」
さっきから時計ばかりを気にしていたけど、KIDの予告時刻を確認していたわけではなかったのか。ほんのり目元を赤くして、何かを言い出したくてうずうずしている様子に首をかしげる。
「今日はバレンタインデーなのですよ」
「バレンタイン……ああ、そっか…」
この数日、浮かれまくっていた幼馴染とその友人を思い出す。お菓子屋の名をあげては何やかんやと話していたのは今日のためだったんだ。
「工藤くん……なんだか、運命と思いませんか?今日のこの日を、僕とあなたが一緒に迎えたというのは…」
「……?」
単に事件現場にいて、どうして運命なのだろう。
でも。
「運命…か。案外そうかもしれないな…」
例えば、今日…ああ、もう昨日だな。警視庁で会ったこととか。得意気になって自慢してくれたこととか。暗号に興味をもったオレを、これ以上探偵が介入するのを嫌がる中森警部の反対を押し切って連れてきたこと、とか。
そして。
オレがお前に対して決めたこと。
運命という言葉を安易に使ったのだから、甘んじてその運命を受け取るといい。
遠くから見ているだけなんて、ゴメンだ。
あの時、触れることができたオマエのぬくもりを手に入れたい。
好きだと、言葉も交わしたい。
今日がバレンタインデーならちょうどいい。
なあ、KID。
早く、ここに来い。
そうしたら、オレは自分自身に区切りをつける。
絶対的な距離を埋めるために。
自己満足に過ぎなかろうと、オマエへの愛の証を立てるんだ。
end
02.02.14
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