Hey, darling!〜12 





新一は隣を歩く快斗をそっと伺い見た。
自分より高いところにある肩からして、身長に差があるのは明らかだ。よって腰の位置も違えば、必然的に歩幅も違う。
その上、元に戻ったばかりの身体には筋力の回復がともなっておらず、新一の歩みは比較的ゆっくりなものだ。
(……だったら…)
少し考えて、さらに速度を落としてみる。
誰だって自分の歩調を持っているから、他人に合わせるのは意外と難しい。しかも、極端に遅いものはとても歩きづらい。
しかし、快斗は新一を置いていくことなく真横の位置からちっともズレない。どうやってギアチェンジをしたのか見ていた新一にも気付かせないくらいに、極めて自然に歩調を緩めた。

他人に気遣われるなんて、普段の新一なら我慢できないことなのに。意識的なのか無意識なのかわからないが、快斗の行為が何だかとても嬉しくなってしまう。
「どうした?」
つい漏らしてしまった笑みに、快斗が深い色の眼差しを向けてくる。
決して他人に向けられるものではない微笑みは、目に見えないふたりの絆のよう。
どんなに甘えても許される立場なんて、今までの新一は考えもしなかったし必要ともしなかったけれど。
根底にある兄弟という認識が、与えられるもの全てを当たり前のように甘受してしまう。
「なんでもない」
「そう」
わざと素っ気無い返事をしても、気まずさが生まれることはなく。快斗との間にならば、沈黙ですら心地よかった。





「さて、今日の夜は何にする?」
「何でもいいけど…」
応えながら新一はきょろきょろと周囲を見回す。
陳列台には新鮮な野菜がずらっと並べられていて、種類の豊富さや量に目を丸くする。
「普段の生活が忍ばれるね。スーパーが物珍しいなんて」
「オレだって買い物くらいするさ。時々蘭とだって一緒に…ぁ…」
くすりと笑われたことにむっとして、勢いのままに云ってしまう。
幼馴染に手を引かれて夕餉の買い物に行ったことは、小さい姿の記憶。口に出すべきではなかったことに口篭もってしまうが、快斗は気にとめなかった。
「どうせ帰り道にある商店街か、コンビニだろ」
「……だったら何だよ。ここはできたばっかだし、初めてだっておかしくないさ」
「そうだね。事件でもあれば別だけど、新一が率先してくるところじゃないな」
結局どう云ってもまともな生活をしていなかったのは事実で、まともな生活を送れないのもこれまた事実。生活の必需品を手に入れる場所に縁がないのも当然である。
家政婦に家事の一切をやってもらう母のおかげで、手を引いて連れて行ってもらうこともなければおつかいに行く必要だってなかったことも理由にあげられる。
的確な言い方に返す言葉もなく、新一は腹いせとばかりに手近なところになる野菜を快斗が持つカゴの中へと放りこんだ。
「新一くん、コレ食べるの?」
「食材選んでやってんだよ。食べられるようにするのはオマエだろ」
「はいはい」
頬をふくらませて拗ねた様子に笑みをこぼしながら、考えもなしに入れられたものを見る。キャベツに白菜、ピーマン、たまねぎ、にんじん、レタスにトマト、手当たり次第というのが如実だが、快斗はメニューをはじき出す。
「じゃあ、今日は中華にしようか」
「中華…?」
「そ。せっかく新一が選んでくれたしね」
全部まとめて野菜炒めにでもするのかと思いながら、新一は後を付いて行く。だが、おかしなことに快斗は次のコーナーを見向きもせずに素通りした。
「快斗、魚は見ないのか?」
「悪いけど、あんまりその名をオレの前では言わないで」
「は…?」
何気に聞いたのに、帰ってきたのは深刻さの滲んだ口調。よもやと思いつつも、欠点や弱点があるだなんて俄かには信じられない。
「まさか…アレが嫌いなんて言わないよな?」
「嫌いっていうか苦手なんだよ。どうしても姿形がダメなんだ」
「じゃあ食べれないってわけじゃ――」
「ない、ってわけがないだろ。全然全くもってダメなんだ」
力説されて、成る程と思う。
確かにこの一週間、高たんぱくで栄養素ばっちりの食事――即ち和食が殆どだったが、一度たりとも魚が食卓に並んだことはなかった。
どの食事も手が込んでいて非常においしかったから、満足のいくものばかり。不満などなく、いつも美味しくいただいた。言われなければ魚が出ないことに気付かなかっただろう。
「なんで?どうして嫌いなんだ?」
いくら苦手といっても、見るのもイヤだというのは些か度が過ぎている気がする。誰かに食べさせるために料理するくらいは普通できるものだから。
「ちょっと、トラウマ…というかなんというか」
「トラウマ?幼少期に恐怖体験でもしたのか?」
「まぁ、そんなとこ」
苦笑して言葉を濁されれば、それ以上突っ込むこともできない。確かに、嫌いなものの話などいつまでもしたいことではないだろう。
食べられれば何でも構わない性質の新一は、魚が口にできなくても別段困ることもない。
(でもトラウマってなんだろ。生き造り見たせいとかそんなことなのか。外国育ちだから、カルチャーショックっていうのもあるよな)
ともあれ快斗の新たな面を知れて、新一は機嫌を上昇させたのだった。






スーパーはショッピングモールの一角にあって、新一の大好きな大型書店も入っていたりする。レジの順番待ちをしているところで、ちょうど目の前にある本屋に気付き目を輝かせた。
「な、快斗。ちょっと本屋に寄っていいか?新刊が出てるか見るだけだからそんなに時間はかからないし…」
「いいよ、行っておいで。すぐに行くから」
「うん」
快諾してもらえて、新一は勇んで書店へと駆けていく。
大抵の場合、誰かと一緒にいて本屋に行きたいというと辟易される。せっかく新一に相手をしてもらえているというのに、心を奪ってしまうものに敵愾心を抱かないわけがなくて。ひとりの時でないと本屋に行くことはなるべくしないようにしていたけれど。
快斗ならば嫌な顔をしないだろうと思った通りのことに、余計に新一の心は弾んだ。
「あ、出てた」
新刊コーナーで目当ての本を見つけて手にとると、ずらっと立ち並ぶ棚のほうが気になって仕方なくなる。
発刊されているか確認するだけという前言も、浮き立っているせいでとっくに念頭からはなくなっていた。久々に品揃えの豊かな書店ということも拍車をかけて、新一は次から次へと本を手にしてゆく。
その様子を、スーパーから出てきた快斗はガラス越しに目に留めた。
「まぁ…元に戻ってから本屋は初めてだもんな」
幼い姿に封じられてことごとく制限を受けていたから、誰の目も気にせずにやりたいことは山とあるだろう。快斗との生活の物珍しさにこの一週間は費やしたが、その前の一週間はほとんど事件漬けの推理漬けだったのだし。今度は本漬けになるのが順当というもの。
宝物を手にした子どものように、目をキラキラさせて本を選んでいる新一。その幸せそうな表情に、快斗も表情を緩めた。
だが、一瞬にして無表情なものへと摩り替わる。
「珍しいところで会うわね。黒羽くん」
両手にスーパーの買い物袋を下げた快斗の、背後から掛けられる声。
振り向かなくても気配で誰であるかわかっていたから、誰何することも挨拶することもしない。
「あんまりな態度じゃなくて?久しぶりだというのに」
まるでいないもののような扱いに痺れを切らし、黒髪をたなびかせながら正面へと回り込んだ。
目の前に立つのは、快斗とそう変わらない若い女性。長い髪と妖しく光る眼差しがとりわけ印象深い美貌の持ち主。
静かでいて、その奥底に燃えるような炎をちらつかせている瞳。真っ直ぐに合わせられて、快斗は仕方ないとばかりに息を吐いた。
「何か用か?」
「闇に身を落として闘いに明け暮れていたのに。随分と面白いことをしているのね」
「お前には関係ないだろ」
なんの感情もこもらない声に一蹴されても、彼女はひるむこともなくひっそりと笑う。そして、ちらっと後方へと視線を流した。
「とてもかわいいひとね―――ほら、こっちを見て吃驚してるわ」
クスクスと声を立てて笑うのを、鋭い眼差しで黙らせる。
わざわざ指摘されなくとも、夢中だった本からこちらへと視線が向けられたのには気付いた。見開かれて、そのなかに名状しがたい色を称えて頼りなげに揺らしているのにも。
何の因果か、彼女は快斗を見込んでいる。だが、それに応える気もなければ、関わりを持つつもりもない。
優先すべきなのは考えるまでもないことで、快斗は彼女の横を通り抜けた。
「待って、黒羽くん。まだ話は終わってないわ」
去り行く背中へと投げつけても振り向きもしない相手に、そのまま言葉を綴る。
「あなたの秘密、彼に知られるのはそう遠くない未来よ。暴かれたくないのなら、早く離れることね。これは忠告よ」






「新一、お待たせ」
すぐ横に立たれても、声をかけるまで気付かなくてつい身を竦ませてしまう。ぼんやりとしていた眼差しを、ゆっくりとあわせる。
そこにあったのはついさっき別れた時と変わらぬやさしい笑顔。
胸のなかは落ち着きなくざわざわと音を立てていて、混乱しているのは自分でもわかる程。新一はどうしていいかわからなくて、咄嗟に手に持っていたものを快斗へと突き出した。
「どうした?」
「これ…買って」
「これって、全部?」
「…全部」
手当たり次第に選んだ十数冊の本。文庫本からハード本まで、合計すればそれなりの値段になる。
「OK。ちょっと待ってね」
笑みを深くして受け取った快斗に、新一は無意識にも自分が甘えたのに気付く。
無条件に何でも聞いてもらえることで、安心を得たかったのだ。


どうして気がついたのかは、新一自身もわからなかった。
ずっと読みたかったを本ようやく手にし。そうでなくとも興味のあることに集中していれば他へ意識が向くようなことはなかったのに。

『見て!ゴージャスなカップル』
『ホント、すげぇな』
『どこにも付け入る隙がないって感じよね』

感心して呟かれた会話が耳に入ってきて、つられるように視線を上げた。
瞬間、自分の見た光景を疑った。
゛カップル゛と言われたままに、誰の目から見ても似合いの2人。その片割れが快斗だということにショックを覚えた。そして、新一を混乱させた。
今朝方、幼馴染達に感じた苛立ちと似ているが、その時には感じなかった胸の苦しさに戸惑ってしまった。
(…そ…だよな…快斗に恋人がいたって…おかしくないんだ…)

『誰が見てもほっとかないタイプ!新一くんみたく近付き難さがないし、さぞもてまくってるでしょうね!』

思い出す言葉。
自分だけを特別扱いしてくれるのではなく、別に大切なひとがいる。きっと、その人にも新一と同じく我侭をきいてやって優しくするのだ。





食材が入った袋と本屋の紙袋を下げて歩く快斗の後を、新一はぽてぽてと付いてゆく。
数日分の食料はかなりの重さがあるし、本はそれ以上なのに新一に持たせるようなことはしない。
「なぁ…」
「ん?」
「さっきのひと…」
言いかけて、新一は自分が何を聞きたいのかわからなくて言葉をつまらせた。気まずさをも感じて急速に歩調はダウンする。けれど、俯いた視界から快斗の足はなくならなかった。
「ああ、学校が一緒だったやつだよ。元、クラスメイト」
「クラス…メイト…?」
「そう」
拍子抜けするくらい、あっさりとした返答。それでも、新一の心は軽くならない。
「…きれいな人だよな」
「は…?きれい…って、まぁそうかもな。でも」
「でも?」
「新一のほうがずっときれいだよ」
ぴたりと歩みが止まると、くるりと振り向いてくる。
にっこりと微笑む顔は、この一週間で新一が何より安堵を得るようになったもの。
(…そ、か……オレ…快斗を誰にも…とられたくないんだ…誰かにこの顔を向けられるのが…イヤなんだ…)
朝起きた時から夜眠るまで、あたたかな瞳と優しい笑顔に見守られている日々。もうそれがなくてはいられなくなっている自分に気付く。
(兄弟、だからか…?)
すんなりと快斗が新一の生活のなかへと浸透してきたのは、兄弟だからと思っていた。だが、親にすらあんまり気を許すことをしない自分が突然現れた兄弟だという男にこうまで心を許すなんて、よくよく考えればあり得ないことだ。
それに、気付かされてしまった現在の心境――執着心も、本来持ち得るものではなかったのに。
「新一、帰るよ?」
ぼんやりとする新一に、快斗は顔を覗き込んだ拍子に軽く唇を重ねた。
ほのかに灯ったぬくもりに、瞳を瞬かせる。
「どうした?」
「……なんでもない」
自分の気持ちがよくわからなくても、こうやって無償の感情を向けてもらえる立場を自ら手放す気のないことはわかった。
そして、無条件で甘えて頼って、掛け替えのない存在として思っても、いつまでも続くものではないということも。
だが、今はそこまで考えたくはなかった。
(しばらくは…一緒にいてくれるんだろうし…)
ゆっくりとした歩調に、自然と合わせてくれるように。寄り添って、日々の生活を送る。
新一は、本屋の紙袋を持つ快斗に自分の手を重ねた。
「なに?」
「オレのだから………オレも持つ」
言葉とは違い新一はただ触れているだけで、本の重量は全て快斗の手が受け止めていたけれど。
「ありがとう」
やさしく微笑まれて、心が少し軽くなるのを感じた。






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02.11.17
 

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