Hey,
darling!〜11
音を立てずに扉を開く。
僅かにできた隙間から、快斗は室内を覗き見た。
広い部屋の、ベランダ側に置かれているベッドの上。こんもりとしたブランケットの形から、手足を丸めて縮こまっている様子が知れる。
息を詰め、きっと自分自身を抱くようにして、襲いくる罪悪感と闘っているのだろう。
開けたときと同様に、快斗はそっと扉を閉めた。
(……抱きしめてやりたいけど……)
新一が慰めなど必要としていないことはわかるから、安易に手を差し伸べることはできない。
秘密を持つということがどういうことか、快斗は嫌というほど知っている。
それがもたらす痛みや苦しみは、他人には決して理解できるものではないし、自分自身で乗り越えなければならないものだ。
快斗は自室へと静かに入った。
手に持っていたファックス用紙を脇の机に置くと、パソコンを起ち上げる。
「この分じゃ、新一は現場にくるだろうな」
先日の牽制が効いたようで、怒りが心頭しているうちは怪盗を捕まえることだけに専念してくれるだろう。
しばらくは、怪盗の敵がどういうものか探りをいれるようなことをしたり、余計な首を突っ込むようなことはしないはず。
「ほんのちょっとでいいから、誤魔化されてくれよ」
怪盗の敵に対して、新一は興味を持っている。そして、律儀にも恩を感じて手助けをしたいと思っている。
快斗にとっては、厄介というべき状況だ。
ディスプレイ上に並べられていくデータは、日々刻々と変わっていく。
内容の高度さから言えば、これだけでもICPOは諸手を上げて喜ぶくらい。だが、快斗が目指すところまでは後一歩というところ。
たった一度のチャンスに全てを賭けるのだから、準備は万端に徹底してやっておかなければならない。そして、余計な負担はないに限る。
「ホント、新一は何にもわかってないからな」
決して、新一の事件に面白半分で首を突っ込んだわけでも、戦力不足を補うために手助けしたのでもない。
組織が崩壊して新一が日常を取り戻せるなら、それにこしたことはなかったけれど。快斗にとってそれは二の次で、あくまで新一を護りたかったのだ。
それこそ闘うフリをして側にいただけともいえるのに。カシをきっちり返そうとする生真面目な性格にはほとほと困りものだ。
キーボードを巧みに操りながら、快斗は深々とため息を吐いた。
穏やかな空間の、和やかな時間。
ちょっと苛々しながらも、幼馴染らの楽しげな笑い声はようやく日常を取り戻したのだと実感できるものだった。
自分の顔で拗ねて自分の声で憎まれ口を叩けることが、新一には嬉しかった。
隣に安心できる存在がいたから、想いに応えることができなかった負い目もなく幼馴染と話をすることもできた。
何も気にしていない風を装っていたが、やはり学校ではどこかそよそよしさがあった彼女。だが、新一がごく自然体でいたからか、以前のように遠慮なく接してきた。
元に戻っても元通りに戻らないことも在るのだと、そう思っていたけれど。人と人との繋がりは早々簡単に壊れるものではないと感じた。
からかわれ、呆れられて笑われても。
陰りのない笑顔でいてくれることに、心底感謝したのに。
突然、胸にナイフを突き立てられた。
見る見る暗くなる表情に、苦しくて息もできなくなった。
写真を見て愛おしむような眼差しで、悲しそうに幻の名前を呼ぶ姿を直視できなくて。
様子のおかしさに気付かれれば、自分の罪を暴くことになってしまうのに。震える体を止められなくて。
新一は、部屋へと逃げ込むことしかできなかった。
思い知らされたのは、自分自身の罪深さ。
幼馴染に対する罪は、今まで騙してきたことだけではなく。この先も、騙し続けることで増えていくのだと知らしめられた。
「…いっそのこと…」
これ以上、幼馴染に対して罪を重ねてしまわないためにも、全てを話してしまうべきではなかろうか。
もう秘密を知っても、一応組織とは決着をつけたのだからこれといった危険は及ばない。自分の不誠実さを少しでも償うためには、それが最善ではないか。
新一はのそりと体を起こし、ブランケットから頭を出す。
シン…と静まり返った邸内。
先ほどまでの賑やかさの欠片もなく、雑然とした気配もない。
「………いない…のか…?」
3人とも客とはいえ、相応の礼儀を払うような畏まった仲ではない。部屋まで押しかけてくることだってあり得たから、無意識にベッドへ潜り込んだ新一だったが。
ゆっくりとベッドから降りて扉に向かうと、家のなかを伺うようにそっと開いた。
騒々しい音はせず、ひっそりとしているだけ。自分の他には誰もいない気配。
まるで、たったひとり置き去りにされたような感覚に身震いが走る。
(こんな…ふうに…なるのか…?)
もし、己の罪を告白したとしたら。
騙していたことに憤り、周囲は手の平を返したように謗って、そして許されざる者として誰もが背を向けて去っていく。
(快斗も…軽蔑する…?)
もし、新一が幼馴染を苦しめて傷つけてきたことを知ったならば――――。
それとも、態度のおかしさからバレてしまったのだろうか。だから、誰もこの屋敷からいなくなったのか。
「快斗…っ」
喘ぐように名前を口にした時、階段のほうから微かな足音がしてきた。
「あ、新一、起きたのか」
程なく現れた快斗は、シンプルな黒いエプロンをつけてドアの隙間から覗いている新一に視線を合わせる。
「そろそろ昼ご飯だから呼びにきたんだよ。二度寝はしないっていったのに寝てるからさ」
ほっとする笑顔は、今朝と何ら変わっていない。
見つめてくる瞳はやさしいまま。
「…あ、の…アイツらは…?」
「もうとっくに帰った。彼女たち、映画見に行くっていってただろ」
「そ、か……昼ご飯って…もうそんな時間か?」
「もうそんな時間なんだよ」
くすりと笑いながら、快斗はゆるく新一の肩へと手を回して連れて行く。触れた身体からは、強張りがとけていくのがまざまざと伝わってきた。
(元に戻ったばかりで…情緒も不安定だからな…)
後ろめたいと認識していることに触れられれば、簡単に精神は追い詰められてしまう。そんなこともわらかずに、蘭の前で"コナン"のことを持ち出した輩が非常に腹立たしくてならない。
(一発殴っとけばよかったな)
そう思いつつも、ここにはいない者のことを考えるのは止めにした。
快斗が用意した昼食は、朝が遅かったこともあって軽く食べられるサンドイッチ。それを黙々と食べる新一に、快斗も敢えて話し掛けることはしない。
居心地の悪い静寂ではなく、見守られていることで落ち着いてきたのか。俯きながらも心に渦巻くものをぽつぽつと言葉にのせ始める。
「あのさ…」
「ん?」
「…秘密…ってさ…持つものじゃない…よな…」
「どうして?別に悪いことじゃないだろ」
「…え?」
予想していなかった返事だったのだろう。驚いたように視線を合わせ、あわてて反らす。
「だって…秘密を持ったことで、誰かを傷つけたり騙したりすることになる…だろう?自分を偽っているんだから」
「偽ることで、何かを守り抜くことだってある」
きっぱりと言ってのける快斗は、まるで自分のしてきたことを肯定してくれているみたいで。新一は顔を上げて正面から眼差しを受け止める。
「でも、もうその必要もなくなったのに…それでも、真実を告げずに秘密にすることは…?騙し続けて罪を重ねていくのは、悪いことだろう?」
「話てしまうことで、お互いがすっきりするならそれでいいさ。だけど、罪の意識とか、心苦しいから告白したいっていうのは間違いだと思うよ」
「なんで…?」
「本当のことを知ったばっかりに、悔やんだり苦しんだりする。真実は誰にだって優しいものじゃない。知る必要がないのなら、敢えて告げるべきじゃない」
語調はやんわりとしていても、快斗の言葉はひどく強烈で重い。だからといって、真実を追い求めたがる新一を嗜めるものでは決してなくて。すんなりと心に浸透してくる。
「どんなに…罪深い行為でも…?」
「最初に隠そうと決めたのなら、それを徹底して貫くべきだ。騙し続けることで苦しむのは、自分一人ですむ。罪深いことをしたと思うなら余計に、最後まで騙し続けるほうがやさしさだってこともある」
もし、新一が蘭に全てを告げたら。手酷い裏切りと絶望を味あわせることになるのは、きっと大げさなことではないだろう。
「全てを告げたとしても、騙す前には戻らない」
新一は、その言葉を噛み締めるように頷いた。
「そ…だよな…」
罪の重さに耐え兼ねて、ただ楽になりたかっただけ。
蘭が、幻の存在と築いてきた記憶を粉々に壊す権利など自分にはない。
心が軽くなることはなかったけれど、快斗の言葉に新一は救われたような気がする。
「…ありがとう、快斗」
「なにが?」
新一の心が抱えているものに気付かないはずはないのに、食卓ででた話題の一つとして受け流そうとしてくれる。
それに甘えて、新一はなんでもないと軽く首を振った。
「これから何するんだ?」
「そうだな、食料の仕入れにでもいくか」
「じゃ、オレも付き合う」
「珍しいこともあるもんだ」
揶揄する口調に、ほっとけと軽口をたたきながら、新一は着替えるためにダイニングから出て行く。
「新一」
「なに?」
「秘密を持ってない人間なんて、いやしない。誰だって、心のなかに知られたくないものを隠している」
「え?」
背中に投げかけられた言葉がどこか意外な感じがして、新一は肩越しに振り向いた。
そこには穏やかに微笑む快斗がいて、まるで新一のしたことを認めてくれているようだった。
「…うん」
頷いて、待たせないために急いで自室へと向かう。
新一の気配が二階へと移って扉が閉まる音を聞いてから、快斗は誰に聞かせるともなく呟いた。
「――――だからこそ、秘密ってものは甘美なんだよな。暴き立てたくなるし、共有したくもなる」
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02.08.08
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