生まれて初めてのラヴレター。
意味のない言葉の羅列に、気持ちを隠して。
想いを寄せるひとにさえ、それとわかるものではない。
ただ、逢いたくて。
逢いにきてくれることだけを願って書いた。
自分だけが知るラヴレター。
恋 心 4
「あ!そんなものもって!快斗ったら不良だわ!」
指先で弄んでいたモノを見咎められた。
ぼんやりしていたせいで、あっさりと取り上げられる。
「返せよ」
つい、冷ややかでキツイ口調になってしまうが、憤っていた彼女は気づかない。
「これ持ってるってことはタバコ吸ってるんでしょう?!」
「吸ってないよ」
「うそ!正直に言いなさいよ!」
腰に手を当てて、何があっても追求することを態度で示す。
「このところ快斗ったらヘンだし!それってタバコのせいでしょ?!吸ってるから頭がおかしくなったのよ!」
まっさらで純真な少女。曲がったことが嫌いで、気になったことを問いただすのに遠慮も何もない。
自分もそうできればこんなに胸にもやもやしたものを抱え込まなかったかと思うと、彼女の率直さが少しだけ羨ましい。
「違うよ、そうじゃないから。返してくれ」
「いや!違うっていうなら何のために持ってるのよ!」
伸ばされた手から遠ざけるように、高く掲げる。光にあたって銀色に煌いたそれは、別の手が取り上げた。
「ライターじゃん。しかも、コレ高そうだな」
「ホントだ。銀製だし、ハート…ってくれば」
二人のやり取りに興味の引かれていた者たちは、原因である代物に好奇心を露にしている。
銀に彫りこまれたハートの意匠に、さらに興味を引き立てられる。
「おい、黒羽。これ、もしかして先月のプレゼントか?!」
「お前、これの返事で悩んでいたんだろ?」
幼馴染の少女が不審がるほどだった変異に、級友たちも気がついていた。だからこそ、その要因を安直なまでに導き出す。
当たらずしも遠からず――――つい返答に窮する。
「………違う。返せよ」
「なんだよ、しらばっくれることないだろ」
「そうそう。でもチョコじゃなくてライターってとこが熱烈だよな」
「全くだぜ。甘い関係よりも、一気に燃え盛ってしまおうってだよな。いいなぁ」
あれやこれやと騒ぎ立てるのを他所に、彼女ではないから乱暴とも言える仕草で奪い返す。
簡単に返事を返すだけですむのならどんなにいいか。級友たちに羨まれても、実際羨んでいるのは自分自身に他ならない。
これが、自分へと贈られたものなのか。
そして、贈り主は恋してやまないひとなのだろうか。
もしかしたら、別の誰かへのものだったのかもしれない。
たまたま偶然、自分があの場へと先に来たため受け取れなかった誰かがいるのかもしれない。
第一、彼の人が自分にこんなものを贈るだなんて。そんなことがあるはずないのだから。
愛想尽かされた……はずなのだから。
真実の彼を目の当たりにした時。
溢れ出た感情は、今までのように安穏としたやさしいものではなかった。
どす黒いまでの欲望。
腕の中から飛び立った彼を、力づくでも引き戻して自分のものにしたくてたまらない身勝手な想い。
どうして今まで、こんな昏い感情に気付かずにいたのか。
考えるまでもなく、ブレーキになっていたのは彼が小さな姿でいたからだ。本能的に、想いの丈をぶつけてしまえば壊してしまうとわかっていたから。小さな体は、いつも不安と苦痛に満ちていて。そのうえ、自分の想いまで背負わせれば追い詰めるしかないのだと、わかっていたから。
でも、もう今は小さな手に怯えていた彼ではない。
己の手で何でもでき、助けなど必要としない圧倒的なまでの存在感を纏っている。
蒼い瞳は彼の生き様のように、真っ直ぐに見つめてきて。
眩暈がしそうなほど、惹きこまれていく。
欲しくて欲しくて。
欲望を押さえ込む理性は、ぎりぎりの状態。堰を切るのは簡単。
けれど、培った精神力で抑え込んだ。
「あのさ、見てのとおり元に戻れたんだ。その…色々、オマエには世話になって…よくよく考えたらさ、オレ一度も礼なんて言ったことなかっただろ?これでも…オマエにはすごく感謝してんだぜ」
慣れない言葉を口にしているせいか、ほんのりと頬を染めて。気恥ずかしそうに。瞳に宿る光は、どこまでもやわらかくて。
だから、必死で抑え込んだのだ。
こんな犯罪者に、信頼を寄せる彼を裏切らないために。今まで散々苦しんできた彼に、再び同じ想いをさせたくなかったから。手袋の上からでも血が滲むほど拳を握り締め、欲望に蓋をした。
それから、まともに言葉を交わすことさえできなくなった。
少しでも彼に近づいてしまえば、理性を保っていられる保証はなく。
それでも、見つめてくる瞳に欲望は何度でも再燃する。
そのたびに、言い聞かせた。
自分は彼を手にすることなどできない穢れた存在だと。
真実の姿を見た瞬間、圧倒されたことを思い出して。清らかなるものに対して、無意識に感じた畏敬の念と。天地ほどの差がある立場の違いを。
自分の態度が彼を戸惑わせているのには気付いていた。
欲望を抑え込むのに精一杯で、フォローする余裕なんてなかった。欲望の引き金になることを恐れて、あからさまなほど彼との間に線をひいた。手ひどい拒絶のように。そうするしか自分自身も彼をも守れない未熟なせいで。
そして、彼からの拒絶。
今まで、必ず中継地点で待ち伏せしていたのに、突然来なくなった。
当然といえば当然の成り行き。
愛想を尽かされるしかなかった結末。醜いまでの欲望を抱いたことを呪った。
奇跡のようなめぐり合わせで、共にあることを許された。
手の届かない、遠い過去になってしまった出来事。
激しい消失感。
ぽっかりと穴のあいた心。
もう彼に逢うことができないと思うと、余計に恋しい気持ちは募っていく。
諦めることも、忘れることもできなかった。
だから、2月14日。
予告状を出した。
逢いたくて逢いたくてたまらなかったから。
恋い慕う気持ちを潜ませて。ただ逢いにきてくれることを祈った。
もし、来てくれれば何かが変わるかもしれないと。都合のよいことを夢に見て。
彼だけに宛てた予告状。
けれど、夢はやはり夢でしかなく。
舞い降りた先に、彼はいなかった。
儚い希望でしかなかったことを自嘲した時。
視界の隅に引っかかったのは、真っ白いキャンドルと銀のライター。
手の中の鈍い光をじっと見詰める。
まだ火をつけたことはない。
カードも何もなく、誰に宛てたものかわからないのに勝手に持ち帰ってしまったモノ。
悩みつづけているのは、ほかの誰かのものを持ってきてしまったということではなく。これが彼からのものなのかということ。
ありったけの想いをこめて予告状を書いたときから見ている夢は、まだ続いている。
逢いに来てくれるかを願ったよりも儚いものでしかないのに。
どうして愛想を尽かした彼が自分にこんなものをくれるというのか。
答えはわかりきっているはずなのに、それでも一縷の望みにしがみついているのは予告状の場所だったから。
廃ビルであったし、予告状から中継地点を割り出せるのは彼しかいない。
だから、彼からのものだと必死に思い込んでいる。
自分のものかどうかもわからないのに、肌身はなさず持ち歩いて。
我に返ればいつも眺めており、出るのはため息ばかり。
「ね、快斗。どうしてそんなカオするの?こんなに大切に持っているんだから、すごく嬉しかったんでしょう?」
大切にしているのは、贈り主が好きだということ。
そんな単純な公式だからこそ、彼女にとってはひどく不思議でしょうがないのだろう。
「嬉しい…って……だって、オレのかどうかわからないし……」
弱気は弱音を誘う。つい、口をついて出てしまった言葉を取り繕おうとするが、無邪気な声が遮った。
「もしかして下駄箱にでも入れられてたの?快斗へって書いてなかったから不安になっちゃたとか?やだぁ、快斗ったらかわいいわねぇ」
ケタケタと笑い出す彼女に、肩を竦める。笑われるだけしかない現状にいるのは自分だから、怒る気にもならない。
「あのね、快斗。贈り物っていうのはすごく心が込められているのよ。好きなひとにあげるものは特にね」
向かい合うように前に座ると、握り締めているライターを指差す。
「ほら、見て。これ、ちゃんと快斗の手に馴染んでいるでしょ?贈られた先にきちんとあるから、大人しくここにいるのよ。そうじゃなかったら、本当の持ち主のところに逃げていくわよ」
ほんわかとした幼馴染の言葉は、驚くほどすんなりと心に沁みてきた。
「それにわかるでしょ?持っているとすごくあたたかくって、幸せだなぁって感じが。それはね、快斗が好きな人からのものだってちゃんと気付いているからなんだよ」
ずっとずっと蟠っていた胸のつかえが、すっと取れる。
にこにこしながら覗き込んでくる幸福に満ちた少女の顔。幸せを知るものは、幸せになる術を心得ている。それは自分の心に素直であるということだ。
「……青子」
「なぁに?」
「ありがとう」
久しぶりに見せた笑顔に、嬉しそうに頷いてくる。
「別にあとでパフェをおごってくれればいいのよ。あ、そうそう。ちゃんとお返ししなさいよ」
「お返し?」
「あったりまえじゃない!バレンタインにもらったんでしょ?だったらちゃんと14日にお返しするのは常識!すっごく勇気がいるのよ?!プレゼントを選ぶのだって一生懸なんだから。いいわね、快斗。言わなくってもわかるだなんて思わないで返事してあげるんだよ!」
勇気。
自分の気持ちだけに囚われて、少しも彼の想いを考えもしなかった。
あれだけ手酷く、今までとは違う態度をとり続けたのに。そんな自分に、彼はどんな想いでこれを贈ろうとしたのか。
幼馴染に言われるまで、どうして気付かなかったのか。
こんなにも、コレには彼の気配が染み付いていたのに。
「返事…か…」
彼のくれたものは、キャンドルとライター。
真っ白でハートの形。色は自分を、ハートはそのままの意味を暗示している。
そして、灯すもの。
今になってやっと、彼が贈り物に託した想いがわかった。
彼と目を合わせれば。
言葉を交わせば。
触れ合うまでに近付けば。
もう欲望を抑えることはできないかもしれない。
それでも、彼を傷つけるという恐れも、醜い想いだと自分を呪うことももうしない。
彼に恋しているからこその感情だ。
どんなものであっても否定するなど、それこそ彼への想いを汚しているようなもの。
それに彼の想いを受け取ったからこその、自信もある。
自分でもゲンキンだと思うけれど。
踏み出す勇気をくれた彼に、自分のすべてをぶつけてみようと。そう決めた。
新月の闇に紛れて、降り立ったベランダ。
彼の部屋の前で、深呼吸して心をおちつける。
贈られたライターでキャンドルに火を点けて、鍵のかかっていない扉を静かに開けた。
end
02.03.15
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