『わかるに決まってる!』
ムッとして、即座に返されたコトバ。



時計塔で初めて出逢って。
ホテルの屋上で再会して。
姿かたちは違っていたけど、誰であるかなんて一目でわかった。

だから、君にもオレを一目でわかってもらいたかった。
心を開いてくれて全てを受け入れてくれるというのに、贅沢な願い。

愛されている自信はあるのに。
愛されている証が欲しなんて。

『そんなものが名探偵には必要なのか?ここまで愛し合っておいて、オレがわからないなんて言わないよな』

負けず嫌いな彼に、挑発を滲ませて。
「絶対、オマエを見つけてみせる」
きっと、そんな台詞が返ってくると思ったけれど。


バカにするなと、表情は語っていた。
不機嫌さと怒りを露に、睨んできて。


『じゃあ、待ってる』
希望でも強がりでもなく、自分からは声を掛けないことを暗に告げると。
確りと頷きながら、微笑んでくれた彼。



出逢う時が心底楽しみだった。
彼が、オレを見つけてくれる瞬間だったから。











amnesia 6  











肩越しに振り返って、シャツを引っ張っている手が新一のものだと理解した時。
快斗は、記憶が戻ったのかと俄かに心を躍らせた。
しかし、白い手を辿って見上げてくる眼差しに逢って、淡く愚かな望みに過ぎないことを知る。


快斗が最初に好きになったのは、懼れを知らない強い輝きを放つ瞳。
そして、逢う度に魅了されたのは、愛しさを隠そうともしない心のままのあたたかな瞳。
今、向けられている眼差しの中に、快斗が見知ったものは何もない。新一が記憶を失っているのだと、まざまざと思い知らされるだけ。
だが、諦念も絶望も恐怖も、存在しない。
心はどこまでも凪いでいて、3日振りに落ち着きを取り戻していた。




「ご…めん……わから…ないんだ…」

何の反応も返されないことに更なる不安を煽られたのか、新一が沈黙を耐えかねたように告げてくる。
はっとして、快斗はシャツを掴んでいる手をやんわりと外しに掛かった。振り払われると思ったのか、手を重ねると新一は可哀相なくらい竦みあがる。
安心させるようにやんわりと握り締めて、快斗は床に膝を落とした。
目線の高さが近くなると、一層縋りつくような眼差しで見つめてくる。

「…なにも……わからなくて……だから……」
―――オマエが誰であるか、わからない。

震える声は、先を続けなかった。
事実を伝えればいなくなってしまうと思っているのか、握り返してくる手の力は尋常ではない。爪は肌に食い込んできている。

「…いや、わかってくれたよ」

快斗はゆるりと首を振った。
掴まれている痛みなんかまるで感じないくらい、全身を歓喜が包み込む。

「ちゃんと、"オレ"をわかってくれた」

不安に満ちた瞳は、決して見知らぬ者へと向けられるものではない。
あれだけ外界を拒絶して、頑なだった意識。それが全て快斗に向けられている。最初から他人と位置付けているのならば、有り得ないこと。
思い出すのは、あの時交わした会話。

『オレがわからないなんて言わないよな』
『わかるに決まってる!』

愛し合った記憶を失っても、愛してくれた想いを失っても。
実際見たこともない快斗のことを、わかってくれた新一。あの時の言葉に何ら偽りのなかったことを証明してくれたのだ。
快斗には、それだけで充分だった。
果たされなかった約束も、全てが手に入る直前だったということも、もうどうでも良かった。

「ありがとう」

握り締めた手に唇を寄せて、想いの全てを込めてコトバにする。
伝わってくるぬくもりと、耳に馴染むやさしい声に。新一は、安堵の息とともに全身から力を抜いた。





廊下にまで聞こえた大声に今度という今度は許さないと、志保は病室に飛び込んだ。
騒ぐ男を睨みつけて黙らせると、神経を磨り減らして身構えているだろうから兎に角安心させてやろうとしたけれど。視界に飛び込んできたのは、眠り続けている新一だった。
他人がいる所で眠ることはできない。しかも、神経を尖らせている現状ではどんな些細な気配だって敏感に反応するのに。
異様とも言うべき状態に、何事かあったのではと思ったのも束の間。
新一の傍らに立つ見知らぬ男が、騒音の元を外に連れ出そうと一歩踏み出したときだった。

「…っ!」

突然、新一が覚醒した。
離れていくぬくもりに追いすがるように、向けられる瞳と伸ばされた腕。
ある意味、志保には信じがたい光景だった。
記憶を失う前だって、誰かに縋るようなことをするひとではなくて。記憶を失ってからは、それに拍車をかけた状態になっていたから。
外界のすべてを拒絶して、他へと働きかけることなどしなかったのに。この変化は一体何なのか。
そして、どうにか繋ぎとめようとして開かれる口。

自ら言葉を発することはせず、必要最低限の単語しか口にしなかった。
人形のようにただベッドに横たわるだけで、記憶を失っていることにさえ何ら反応を示すことはなかったのに。
初めて、新一が失ったものに対して見せた不安と恐怖。
感情まで失ってしまったのかと、思っていたけれど。こうして苦しい心の裡を吐露する姿に、志保は泣きたくなるくらい嬉しくなった。
反面、新一の感情の全てが向いている男の反応が怖くなる。
(お願いだから、傷つけないで!)
知らず知らずに両手は祈りの形に組み合わされる。
自分のことがわかってもらえない衝撃―――志保だって充分味わった。
だが、「わからないのか?」「思い出せ!」と不躾けに投げつけられる言葉がどれだけ新一を圧迫していたか。思い出して欲しいことも充分わかっているけれど。
こんなに必死な面持ちで助けを求めている者にそんな態度をとられたら、壊れてしまう。
祈りと願いを込めて、見つめた先。
男の静かで穏やかな眼差しに、杞憂に過ぎないことを知った。

やんわりと包み込まれる、新一の手。
不安を取り除くように、目線を間近にして。
紡がれた言葉のやさしさ。
そして、寄せられた唇に込められる愛しさに、志保はすべてを理解した。

緊張と警戒の糸からようやく解き放たれた新一は、ほっとしたのと同時に急速な眠りへと誘われたようで。重たげな瞼をどうにか上げようとしている。
抵抗を試みているのがどうしてか。志保にはよくわかった。それは、新一の手を握り締めている男も同じだった。

「どこにも行かないから。ゆっくりお休み」
「…ん」

空いている手で柔らかな髪を梳くと、素直に閉じられる瞳。
ぬくもりに解されていく、表情。
志保は、和やかに微笑む新一をずい分久しぶりに見た気がした。


「ちょ…っ!な、なにしとんねんっ?!なんやねん、お前はっ!!」

安らかな空間を打ち壊す大声に、志保は傍らの男のことを思い出す。
新一の態度に衝撃を受けて呆然としていたのだろう。眠りについたことで、ようやく自我を取り戻したらしい。
新一に触れていることが許せないらしく掴みかかろうとしたところを、襟首に手を掛ける。

「うるさいわよ。出て行きなさい」
「な、なんでや?!アイツのほうをたたき出して…!」
「彼はいいのよ。来なさい」
「ぐぇ…っ、ね…ちゃん…っ」

蛙のつぶれたような声に首が絞まっているのだとわかったが、志保は構わずそのまま病室の外へと引き摺りだした。









傍らにある椅子を引き寄せて座ると、快斗は飽きることなく新一を見つめる。

「愛、してる」

今まで一度も口にした事のない言葉。
声に出してみて、想いが叶ってから初めて心に余裕が持てたことを知る。
想いを言葉にするよりも、直接触れて確かめることを好んでいたから。
そうやって貪欲なまでに新一を求めたのは、今にして思えば臆病さが潜んでいたのを否めない。
自分の想いのほうが新一のそれよりもずっと深く強いものだと快斗は思っていた。だから、愛の言葉を囁いて、同じ言葉を返してもらえないことを無意識に怖れた。
愛されている自覚も、自信もあったのに。
気持ちを言葉にしてくれる程の想いを抱いてくれているのかはわからなくて。いや、きっと知ろうともしなかった。
暗黙の規律を作って始めた恋だったから。
誰にも知られてはならない月夜だけの関係。
求めて求めて求めた果てに、ようやく応えてもらえる恋。
そんなふうに考えて、どこか独り善がりになっていた。怪盗の仮面をとっても、受け入れてもらえるかと信じきれなかったこと然り。

新一の心を軽んじていたのだ。
記憶を失ったことで、恋は終わったと絶望的になった。
もう一度、最初からやり直す勇気すらなかった。
こんなにも、心から求めてくれていたのに。
快斗の想いなど凌駕してしまうくらい、強い感情で。

顔を知らない上に記憶をなくしていたのに、わかってくれた新一。
快斗は、自分が何一つ失ってはいないのだと、思った。




新一が寝返りを打って、快斗の側に体を倒してくる。その拍子に、繋いでいない方の手が重なってきた。
「…?」
思ったよりも固さのある拳に、そっと持ち上げてみる。
力のこもった拳は、何かをしっかりと握り締めているせい。
手の中に収まる小さな、何か。
不思議に思って、快斗は掌を開こうと試みる。だが、無理やりやって起こしてしまうわけにはいかない。
しばし、思案して。
「見せて」
そっと耳元で囁いた。
途端に細い指が解けて、握っていたものがシーツの上に転がる。
「リング…?」
銀色の輪の周辺には細かい細工が施してあって、安物でないことくらい容易に知れる。だが、新一の指には些か大きすぎるし、とても趣味に叶っているとは言い難い。
「どっちかというと、オレ向き―――!」
気に障る嫌な感覚に、扉へと鋭い視線を投げつける。
わざと椅子を引いて音を立てると、近付いてきていた気配は咄嗟に踵を返して逃げ出していく。

「……やっぱり、正解か」






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02.07.29 


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