少女が店の前に立つと、正装した男が深々と頭を下げながら扉を開いた。
軽く目線で礼を示すと、ドレスアップをした人々が犇く空間へと物怖じすることなく入っていく。
店内は中央部分にある流線型の瀟洒な階段だけがライトアップされ、エレガントなドレスを纏ったモデルが二階から順順に降りてきている。
そちらへ視線を向けていると、近寄ってきた男に声を掛けられた。
「内覧会へようこそいらっしゃいました。申し訳ありませんが、招待状を拝見できますでしょうか」
「ええ、どうぞ」
斜めがけしている総ビーズのかわいらしいピンクのポシェットから、一枚のカードを取り出すと男に渡す。
「今回から専属デザイナーが変わったそうね」
「左様でございます。お客様にもお気に召していただければよろしいのですが」
「そうねぇ…さっき出てきた白のワンピースはなかなか良かったわ」
思い出したように告げる少女に、男は満足気な笑みをみせた。
「さすがお目が高い。あれは今コレクションの中でも特にデザイナーが力を注いだものでございます」
「すぐに見せてもらえるかしら」
「はい、貴賓室のほうでお待ちいただけますでしょうか。すぐに持ってまいりますから」
「お嬢様、どうぞこちらに」
女性の店員に少し奥まったところにある扉へと、導かれるままついていく。
貴賓室というだけあり豪華な家具で揃えられた室内をぐるりと見回していると、女店員が部屋の奥の扉を指した。
「レストルームはあちらでございます」
「ありがとう」
静かに扉が閉められるのを見届けて、レストルームへと足を向ける。ゆったりととられたスペースにはドレッサーと衝立越しに洗面台があり、その上に置かれている黒いボックスを手にした。
右隅にある白い部分に親指を照合するとボックスが開く。入っていたディスクをセットすると上蓋部分の画面に映像が現れる。
『おはよう、シェリーくん。さて、この男は反体制主義に賛同するテロリストで、最近とみにその活動の幅を広げてきている』
目つきの鋭い中年男性の写真が数枚と特徴や犯歴の項目が次々に切り替わっていく。
『我々はこの男が14日にテロを行う計画を掴んだ。そこで今回の君の任務だが、速やかに男を拘束しテロを未然に阻止することである。例によって、君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このディスクは自動的に消滅する。成功を祈る』
ピピピピと急かすように鳴り出した警報音にボックスを閉じる。蓋の間から白い煙が出てくるが動じることなくゆっくりとした足取りでレストルームを後にした。
ヴァレンタインデー大作戦 = mission play 2 =
「だからって何で今日なんだよ」
「さっきからしつこいぞ、オマエ」
「でも、新一だってそう思ってるだろ」
ぶつぶつと不平を言い続ける快斗に、新一はため息をつく。
「せっかく休暇をとってたのに、オレの計画は台無しだ」
「計画?ホテルのスイートに閉じこもるのなんて、いつもと代わり映えしないじゃないかよ」
「何いってんだよ!今日はヴァレンタインデーなんだぜ?!朝から晩まで、どこでいちゃついていようと誰にも文句を言われない、恋人たちの愛に溢れた日!だから、いつもと違ってセーブする必要もなく、まる一日新一とベッドのなかにいられたはずなのに!!」
「快斗!」
いくら人気のない路地裏とはいえ、問題大有りな発言をされて新一は慌てて周囲を見回す。向こう側の通りから注意を払う者もなく、ホッとする。
「まったく、オマエは!」
「心配しなくても、誰にも聞こえてないって」
『『聞こえてんで(ますよ)ッッ!!!黒羽(くん)ッッ!!!』』
キーンと耳に嵌めていた通信機から轟いた大声。それに驚くより、新一はキッと目の前のオトコを睨みつけた。
「おい!なんでこっちの音声を流してんだよ!」
「いや〜怒りのあまり、オレとしたことが初歩的なミスをしてしまったぜ」
「…うそつけ」
しれっと言い訳をする快斗に、新一は沸き起こる怒りをどうにか押さえ込む。どうせ怒ったところで無駄な労力になるのはわかりきっているから。
だが、そんな新一の代わりに怒りの声が途切れることなく通信機から流れてくる。
『一体任務の真っ最中になにやって!君ってひとは節操というものがないんですかっ!!』
『第一下手な芝居で、工藤は自分のもんやと思わせようとしたってそうはいかんでっ!!』
『ヴァレンタインデーに任務だからと駄々をこねて、工藤くんからチョコレートをもらおうという魂胆なんでしょう!』
『まったくセコイやっちゃ!工藤がお前なんかにチョコなんかやるわけあらへんやんか!』
『そうです!誰が君にチョコレートをあげたりするものですか!』
『任務っていう言い訳ができて良かったやあらへんか!もらえんかったんやないって自分を誤魔化せるしな!』
語気も荒い服部と白馬に言い募られるが、荒いのは息もである。ハアハアと乱れる呼吸に、快斗は鼻先で笑った。
「お前らさ、恥ずかしくないわけ?通りの人たちは気味悪がってるだろ。走りながら大声でわめき散らかしてんだからよ。警察に通報されたりしたら、エージェントの名折れだぜ」
『それ以前に、追跡しているのがバレるわよ』
会話に割って入ってきた冷ややかな声に、忙しかった息継ぎがピタリと止まる。
『あら、もうバレてたの。だから、あなたたちは走って追いかけているワケね』
『い、いいいや、こここれはっっ!!』
『あ、あああのですねっっ!!』
『言い訳はいいわ。アジトを押さえて計画書を手に入れ爆弾を撤去するという、実に簡単な任務で終るはずだったのに…そう、作戦その1は失敗なのね』
『『そ、そそっそ…んんんんななななな……ッッッ』』
何の感慨もこもらない口調は、底冷えのする震えしかもたらさない。服部と白馬は何やら懸命に弁解したいらしいが言葉にすらならない。
『おふたりさん。作戦その2に移行するから、よろしくね』
「OK、じゃあ後で」
ぷつりと哀からの無線が途切れる。それでも、通信機からはまだまだ走りつづけている男たちの息使いが届き、合間に快斗への悪口が聞こえる。
「ち、しょうがないヤツらだぜ。結局、オレたちにお鉢が回ってくるんだからよ」
「快斗」
「だって新一〜」
嗜められて、子供のように頬を膨らませる。それが、さっき彼らに言われたことが尾をひいているせいだと知れて、新一は何だかおかしくなる。
「ほら、これやるよ。飲んであったまれ」
「へ?」
オーバーコートのポケットから取り出した小ぶりの缶。目の前に突き出された快斗は、唖然としながらもしっかりと受け取った。
どこにでもある缶飲料、けれど快斗にとって大切なのはその中身。
「コ…コアって!な、新一これってさ!ヴァレンタインのプレゼント?!」
「さあな」
「で、でも!ここ、この底!ハートのシールが貼ってある!」
目ざとく見つけた快斗に、新一はぷいっと視線を反らした。目元はうっすらとピンク色に染まっている。
「新一!ありがとう!やっぱ、オレって愛されてるんだなぁ」
「…ばか」
ひしっと抱きついてこられても、逃げることもせず。受け止めた新一はその腕のなかで恥ずかしそうに微笑んだ。
『『ちょ、ちょちょっとっっ??!!い、いいいいったいどういうことやねん(ですか)っっ??!!』』
しっかりとした抱擁と熱い口付けを交わす恋人たちに、外野がどれだけ騒ごうと届くはずがなかった。
「ん…も、う……快斗っ」
「まだ、だよ。だって、新一が誘ったんだし」
「あ、んん…」
少しだけ唇を離して、息をつがせると。再度、深く深く舌が絡み合って、新一を官能へと誘い込む。
(くそっ、やられた!)
先ほどの驚きも喜びもホンモノだったけれど、快斗はおそらく知っていたのだ。拗ねたのも予定が潰れて苛立っていたのも、全ては自分からのプレゼントを引き出すためのワナ。
無論、渡すタイミングがつかめないだろう新一を慮ってのことだろうが、他人が聞き耳を立てているところでするのは絶対にわざとだ。
(………ま、いいか…)
他人といっても哀は身内というか姉のような存在だから、今更恥ずかしいことはないし。あとの2人組に対して気にするような繊細な心は持ち合わせていないし。さっき、なんやかんやとモテない男のような扱いを快斗にしてくれたことを思えば、自分がどれだけ愛しているかを見せ付けてさえやりたくなる。
伝わってくる熱に浮かされて、さらに奪い取るように自分から相手へと食らいついた時。ふたりしかいなかった路地裏に、息せき切って駆け込んできた男がいた。
だが、快斗も新一も口付けをやめなかった。邪魔者に目もくれず、お互いだけに集中する。
ふたりを目にした瞬間、ぎょっとして足を止めた男はその姿に構わず駆け寄ってきた。そして、キスに夢中なふたりの傍らを走り抜けようとして―――大きな音を立てて、頭から地面に転がった。
「な…?!ぐっ!!」
わけがわからず、地面から体を起こそうとした男の背中に、ずしりと重いものが乗っかかってくる。快斗の足だ。
ちゅっと音をたてて、名残惜しげに唇を離すと。通信機に向かって言葉を発する。
「予定通り追い込まれてきたから、捕まえた。ついでに、役立たず二名も到着」
『了解、そちらに車をまわすわ。それまでキスの続きをしていなさい』
「哀ちゃん、ありがとう♪」
「おい!なに言って…んんっ…」
反論する間もなく、口付けの再開。
一度ついた焔は簡単に消えるはずがなく、あっけなく再燃して。新一が陶酔へと引き込まれるのもあっという間。
「あ…あああああああぁぁぁぁぁ…っっっ!!!!」
「ひ…ひひひひひひひぃぃぃぃぃ…っっっ!!!!」
路地の入り口で体力切れのためにその場に崩折れていた服部白馬両名は、目の前で繰り広げられていることにムンクの叫びを上げるのだった。
⇒後編につづく。
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