『あなたが待っていてくれるのなら、私は必ず帰ってきます』
命を賭けて闘いに挑もうとしている。
巨大な敵にたった独りで向かっていくなんて、死を覚悟しなければきっとできないこと。
だけど、運命を悟りきったような、そんな昏い眼差しでは見ていない。
未来を照射する強い光が、怪盗の瞳に宿っていた。
ギリギリの状態に陥って、生を掴み取るために何か縋るものが欲しいと考えたのなら。
そのために必要な約束だとしたら――――。
何て、残酷なのかと思った。
「一緒に行く」と告げる隙を与えずに、約束を口にした怪盗が。
自分は人の闘いに首を突っ込んできたくせに、待っていろと言うなんて。
でも、嬉しいと思ったのも真実。
探偵としてではなく、一人の人として必要としてもらえることが。
だから、頷くことしかできなかった。
どんな返事が返されると思っていたのか。
怪盗は眼を見開いて、しばらく動かなくて。
それから、ゆっくりと表情を緩めた。
月光が、余すところなく照らし全てを曝しているのにも構わず。
とてもとてもキレイな微笑みを、見せてくれた。
幻影奇譚 2
「3日後にはカタがつきます。だから、そんなにお待たせすることはありません」
そう言ったのに。
あれから既に一ヶ月。
毎日毎日、待ちつづけて。
とうとう、反らすことのできない現実を目の当たりにした。
彼は、必ず帰ってくるとは言ったけれど。生きて帰るとは一言だって言わなかった。
ただ、帰ってくると。
どんな姿であっても、必ず帰ると。
正面に立つ白い影は、彼の約束の成れの果て。
質感なんてまるでなく、淡い光を空間に投射した感じ。
こんなになってさえも守ってくれた喜びなんて、どこにもない。
視界がぼやけていく。
頬を次々に伝うものが、床へと落ちて小さな音をたてる。
心が、冷えていく。
頭に占めているのは、後悔と絶望。
『泣かないで下さい』
困惑した声に、反射的に目元を拭う。
声と同じく、困った顔をして覗き込んでくる。
音として伝わっているのではないけれど、やさしく響いてくる声に、さらに涙が誘われる。
後悔は、ひとりで行かせたことに。
絶望は、生きていく希望を失ったことに。
もう一度、逢いたかったのは、自分の気持ちを伝えたかったから。
『何を…泣いているのです?何か、あったのですか…?』
もしかして、彼自身は気付いていないのだろうか。
そう思うと、もう涙は止まらなくなる。
「お…まえ…っ…わかって…る…か?…あれか…ら、も…ひ…と月たって…んだ…ぞ…っ」
『…え?』
不思議そうな声に、事実を伝えなければならないことを知る。
だけど、聡い彼は瞬時に何もかもを悟ったようだ。
『そうですか。守ることもできない約束をしたばかりに、あなたを苦しめてしまったのですね』
「な…んで…?なんで…そんな…に…」
あっさりと現実を受け入れることができるのだろう。
もうこの世のものではないのに取り乱すこともせずに、なんて簡単に認めるのだろう。
もっと足掻いて、生への執着を見せてもらいたいというのは、我侭なだけなのか……。
『最期に、もう一度あなたに逢いたいと、そう思いました。爆発にのまれ身動きがとれなくなり、薄らいでゆく意識のなかで――――私はここで死ぬのだと、わかりましたから』
やはり、私は死んだのですね。
苦笑まじりに告げられたことが、どれだけ痛いかなんてきっと知らない。
でも、もういい。
ここに現れてくれたのだから。
「…連れて…行って、くれるん…だろう…?」
『何を、言っているのですか…?』
唖然とした顔で見つめてくる。
気持ちが同じでないのも、オレが想うほど想ってくれていないのもわかっていた。
でも、独りで取り残されるのは嫌だ。
あの時みたいに、見送るなんてもうできない。
「オレは…オマエの願いを…聞いてやった…っ…だから、今度はオレの願いを…きけよっ…!」
今まで抑えていた感情を解き放って、心をぶつけたのに。
それなのに、やっぱり彼は残酷で。悲し気な顔を、横に振った。
「…ど…して…っ?!」
詰め寄ろうとすると、空気を揺るがすことなく後退する。
決して縮まることのない距離。
こんなときにまで、嫌と言うほど知らしめる。
『申し訳…ありません……あんな約束をしなければ……あなたのやさしさにつけ込んで……もう一度逢いたいと…思いさえしなければ…………』
「キッド…ッ?!」
消えるな。
お願いだから、消えないでくれ……!
ああ…透き通って…いく……。
ズルイ…なんてずるくて酷い……。
『――――さようなら…』
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02.08.18
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