月明かりに今夜の獲物をかざす。
覗き込んでも期待した赤はどこにもなく。代わりに、黒くて重苦しい雲が現れる。
石を外して見上げた空は雲の流れが速くて、一瞬前とはその様相を変えていた。
「……くる、か」
雨が。
探し物を見つけられない以上に、気分を降下させるもの。










暗雨
〜夜の雨・3〜











雨は、誰の上にも平等に降る。
濡れれれば気は重くなるし、冷たくて寒いのは自分だけが感じることではない。
そう思っても。まるで言い訳みたく、何度も反芻してみても。
どうしても自分だけが、世界から切り離された存在に思える。
いつもいつも、胸に抱くのは計り知れない疎外感。


怪盗だから。犯罪者だから。
周囲のすべてを騙してきたから。

色々と思い当たることはあるけれど。ずっと、そう思っていたけれど。
あの夜の、あの雨に濡れてから、少し違うと気づいた。

誰にも見せることのない、気づかれることのない己の本質。
まるで暗闇のなかに、ひとり置き去りにされたみたいだ。
ふと、降りかえってみれば。
一瞬前にいた軌跡だけがかろうじて見える程度で。真っ黒く塗りつぶされた道を後戻りすることも適わず。だけど、前を向いても行く先は真っ黒に閉ざされていて、進むべき道もわからない。
立ち止まれば、そのまま闇に飲み込まれて。自分というカタチはあっという間にその一部に成り果てる。
まるで、最初からそこには何もなかったように。

得も知れぬ孤独。
存在する確かさが感じられずに、自分自身があやふやにさえなってしまって。
怖くなって、思わず手を伸ばしてしまった。

伸ばしても掴むものは何もない。
当然のごとく空をきるだけ。
それでも、掴んだものがあった。
当然のごとく幻だったけれど。
浅はかなまでの、夢でしかなかったけれど。

雨の冷たさに凍える体と心には、途轍もない救いのようだった。
自分が求めた、たったひとりの存在。

決して手に入らないのはわかっている。
垣間見た自分の未来は、あの光り輝く存在とはあまりにも縁遠い。
だから、望んだのはホンのささやかなこと。自分という存在を覚えていてもらいたいだけ。

ただ、それさえ叶えば。
どんなに惨めで孤独な死であろうと、どこで野垂れ死にしようとも。
幸せな気持ちで結末をむかえることができると思った。
そう思えることさえ、かつて味わったことのないくらいに心を満たしてくれたのに。

それなのに。
どうしてオレの光が、オレよりも先に死ぬ目に陥らなければならないのか。


信じられない現実は、自分自身に信じられない行動をとらせていた。









ひっそりと暗く沈む室内で規則正しくなっている電子音。浮かび上がる光の波形が、かろうじて闇と同化してしまいそうな空間を現実にとどめている。
それは、彼の鼓動を耳と目とに確かな証として教えてくれるもの。
けれど、イヤな音を鳴らしつづける胸を静めるには到底及ばない。

ここにいるのが彼だけではないとわかっていても、理性を逸した肉体は禁域だということに戸惑うことはなかった。
外気をともなわずに、僅かな窓の隙間から忍び込む。
途端に、鼻を掠めた匂い。
疲れて転寝をしている人に気配を気取られることなく、闇の中に溶け込んで。
ベッドのすぐ間際まで近寄り、彼を見つめる。

懸命に耳をこらして彼の息遣いを探るけれど、鋭敏な感覚のどれにもひっかかってはこない。
微弱な生命。
電子音と波形は正常値を示していても、足元はあやふやに覚束なくなる。

すっと、血の気が引くように下肢から力がぬけた。
恐ろしいまでの予感に、精神がつぶされそうになった。
無様に床へと膝をついて、より強くなった血の匂いに全身に震えが走る。
その時。
恐怖に叫びだしそうになった精神に呼応するかのように助け手が差し出される。今まで厚く立ち込めていた雲の間から、月が顔を覗かせた。
そして僅かな光は、やさしく彼の顔を照らし出してくれる。


きっと、一生に一度だけだろう。
目に見えない存在に、感謝をすることなんて。
そのぐらい心のなかはかつてないほど満たされる。

よくよく耳をこらすと、微かながらも息遣いはきちんと聞こえていた。
彼の表情に苦悶の色はなくて、危害を加えられたことに対する恐怖の色も見て取れない。
こんな状況であるのに、どうしてか安らかな眠りを享受していると思えるくらいに、とても穏やかな顔をしていた。
よかったと思った。
ただ本当に、生きていてくれてよかったと。
彼を襲った凶器が、彼の心まで傷つけることはなくてよかったと。
やはり、光を消し去ることは誰であろうとできることではないから。
ひたすらに、よかったと思った。


動揺と緊張が掻き消えると、今まで忘れられていた理性と冷静さが戻ってくる。
思わず彼へと延ばそうとしていた手に気付いて、ギクリと身を震わす。今自分がどこにいるのかを思い出して、息ができなくなる。

夜空を覆っていた雲は風に流され、月を覆うものはもはやなく。重く圧し掛かっていた闇は追いやられて、室内は白い光に包まれる。
闇に塗れる黒い形で来たせいで、場違いなまでに浮かび上がる姿。
実際、この清浄な空間には異分子であることは誰に言われるまでもなく知っている。
何よりも、白み始めた空が顕著なまでに、彼と自分の住む世界が違うことを教えてきた。
闇に住む者はひっそりと息を潜めなければならない時間の始まり。


もはや彼の姿を瞳に納めることすらできずに、僅かに残る闇のなかへと帰るしかなかった。







ポツポツと空から落ちてきた雫は、やがて勢いを増して全身に叩きつけてくる。
雨に霞んで視界の悪い道は、まるで世界から拒絶されているような感覚を引き起こす。荒々しく降り注ぐ雨は、罪人を鞭打つような感じすらして。
濡れそぼり肌に重く張り付く服地に体温は奪われ、生きているのかどうかもあやふやになる。

見出した救いは、心に仄かなぬくもりを宿してくれた。
けれど、冷え切って凍えた精神を溶かすほどではない。
身のうちに抱え込んでいる氷の塊は、一層大きく育っている。
寂寥と孤独に、絶望と喪失まで加わってしまったから。もう、自分でもどうしようもない。


信じられない行動を取らせるくらい、激しく狂おしいまでに抱いていた情愛。
ただ心に思い描いてささやかな温もりを得ていたなんて、そんな穏やかなときはもはや幻でしかない。
失う恐怖を覚えてしまったせいで、絶えず付きまとう焦燥と苛立ちと。一度、味わった凄まじいまでの絶望と喪失感が心を占める。
特に、こんな雨の夜はそれが一層ひどくなる。

――――どうか、オレよりも先には死なないで。生きてくれ…

もし、たったひとつの願いが叶うのならば、今の自分が望むのはそれだけ。
探しものが見つかることより、組織を崩壊させることより、ただそれだけ。



ふっと、口元をゆがませる。
こんなことを願うには、自分ほど不適切な人間もいないだろう。
闇の世界の住人は、誰かの生を望むよりも死を望むほうが相応しい。



雨の煙る視界の先に、蹲っている何かを見つける。
いつかの雨の夜みたいな、儚く散った命だろうか。

こんなふうに、死に近しい者は死を呼び寄せる。
だからこそ、余計に彼とは住む世界が違うのだ。




凍えた体でもぬくもりを与えられるものへと、静かに近づいていった。







end 
03.10.14



  
back
  
■story







楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル