秋だから…
「………ふぅ…」
ぴくり。
本を取りに書斎へ行こうとしていた新一は、ソレに敏感に反応した。
久しぶりにゆっくりとした一日。
快斗は仕事の下調べで、新一は事件に追われていたせいで、ここのところふたりして家で過ごすことは無かった。
なにをするでもなく、快斗がいる空間でのんびりと羽を休めることができるのを新一は密かに喜んでいた。
それなのに、快斗は朝から様子がヘンなのだ。
ポーカーフェイスで隠してはいるものの、どこか憂鬱そうな影をひそませている。
新一が読書をしている傍らで、ぼんやりとして遠い目をしたり。
キッチンでコーヒーをいれていると、なぜか苦味潰したような視線を背中へとむけてきたり。
怒っているとかそんな風ではないが、不機嫌そうといえばそれっぽい。
新一は、自分が快斗に対して何かしただろうかとわざわざ記憶をたどってみるようなことはしなかった。
喜怒哀楽の感情が新一の前だけはハッキリとしている快斗だから。何かしていれば、その時に怒るなり悲しむなりのリアクションをする。
だから、今現在の状況に問題があると思った。
つまり。
(久しぶりだってのに、もしかして快斗はオレといるのが苦痛なのか…?)
すれ違いの生活をおくっていた数日間。
その間に、一緒の空間を共有するより独りのほうが楽だと気付いたのだろうか。
とんでもなくイヤな考えに掴まりそうで、没頭できるホームズの本を取りに行こうとした矢先。
目の前から新一がいなくなったのを見計らったように吐かれた、快斗のため息。
憶測が確信に変化した瞬間。
「快斗!」
胸に覚えた痛みをぶつけるより。新一は恋人の不誠実さを責める。
今はまだ恋人なのだから、その権利はある。
突然、部屋に戻ってくるやギッと睨み据えてきた新一に、快斗は唖然とする。
「ど…どうしたの?新一」
驚きながらも、快斗は慌てることもせずに新一の視線をうけとめた。
「どうしたじゃないだろ!言いたいことがあるならはっきり言えよ!」
「なにを?」
「とぼけるな!朝から心ここにあらずって感じなクセに!不満があるなら聞いてやるから言ってみろ!」
「え…」
微かに固まった快斗の表情。
それに勢いを得て、新一は怒りを増大させる。
「オレは言わないのが優しさだとか思わないからな!そんな鬱陶しいツラされてまで一緒にいられるなんてゴメンだ!」
快斗が息を呑むのを、諦めにも似た気持ちで新一は見つめる。
(…いいんだ、これで別れるとか言われたって。オレのためにも快斗のためにもよくないから……快斗が望むなら、解放してやれる…!)
新一は、快斗が言葉をつむぐのを辛抱強く待った。
ちらちらと上目遣いで、新一の顔をうかがっている快斗は、口をひらいてはまた閉じるという動作を繰り返す。
逡巡しているのは、新一を傷つけると困惑しているからか。
そんなことは気にするな、そう言おうかと新一がした時。ようやく快斗は言葉を発した。
「…あのさ……その…言えば新一、怒るよ?」
まだ言うか言わないかを迷っている姿に、ぐっと拳を握り締める。
「オレが言えっていったんだよ!それにもう怒ってるんだから今さらだろうが」
「え?新一怒ってんの?なんで?オレ、何かした?」
何にも伝わっていない快斗に、新一は思わず脱力してしまう。
「……オマエのツラ!ため息!オレを見る目!覚えがないなんていわせない!」
「う……それは、その…」
視線を彷徨わせる快斗に、思いっきりドスの聞いた声で怒鳴る。
「さっさと言えっ!言わないと今夜、特上にぎりの出前をとるぞ!」
「し、しんいち〜それないよ〜〜」
とっても情けない顔で、泣きまねまではじめられそうになって。
新一はチェストの上の電話をとる。
「わ〜〜っ!!待って待って!!言うから!言う言う、言わせていただきますっ!」
「…………」
一応、受話器をおいて無言で続きを促す。
快斗は、はぁ〜〜っと大きな息を一つ吐いた。
「……秋だから、ちょっとばかり物思いに耽ってただけだよ」
「そんなのオマエのスタイルじゃないだろ。繊細なガラじゃないんだから」
「……ひどい…」
わざとらしく落ち込んでみせるのになんて、構ってやるほど新一に余裕はない。
熱く燃えた情熱の季節の終わりを、思い出として振り返っているのだと、そう暗喩されているように思えたから。
新一の苛々が伝わったのか、それとも本気で出前をとられてはかなわないと思ったからか、ぼそぼそと話し始める。
「秋だからっていうより、夏が終わったから憂いてたんだよ。夏ってさ、開放的な気分になるじゃん。心も…からだもさ」
(それって…もしかしなくても、オレとはからだだけの関係だったって…そういうことなのか…)
気持ちが醒めたとかではなくて、とんでもないことを告げられそうで新一は耳を塞ぎたくなった。
でも、新一自身が快斗に強要したことだから、目を逸らすことも逃げることも許されない。
「新一ってさ、すっごくストイックな感じがするじゃん。それなのに夏はまるで違った…」
震えそうになるのを、必死で歯を食いしばることで耐える。
快斗は何かを思い出すような瞳をして、かつての楽しかった時のなかにいるようだった。
実際、そうだったのだが。
「剥き出しの肩、腕、鎖骨。Tバックのタンクトップだったから、コーヒー入れるときなんか、肩甲骨がこう、わきわき動くのが丸見えでさ〜。それがエロくって。朝、階段から降りてくるときなんて、太腿が美味しそうに揺れるし〜。新一寝ぼけてるから、タンクトップはめくれあがったままで、おへそは丸見え。朝から眼福だったんだよなぁ。白い手足を惜しげもなく見せてくれて、しかも暑いからって外に出かけるコトだってなかったし。一日中、至福だった…」
うっとりと話す快斗に、新一は頭の中が真っ白になった。
快斗の話はまだまだ続く。
「まぁ精神力の限界を試されていたんだけど。それでも、明るい日の光のなかで新一の白い肌をおがめるなんてないだろ。ヤるときは絶対明りつけさせてくれないから、実際オレが新一の白い肌をちゃんと拝めたのって初めてなんだよね。夜は夜で嫌がらずに付き合ってくれたもんなぁ。外に出れない分、オレと燃えることで発散しようとしてすっごく集中してくれるし…………それなのに……」
トークダウン。一気に、快斗の声は元気が無くなり重くなる。
「ちょっと忙しくなって数日すれ違いな生活送っている間に、オレの大事な夏が終わってるじゃん…!半そでシャツにジーパンなんて格好してるしさ!くっそ〜〜かえせオレの青春!新一の白い肌!魅惑の太腿!鎖骨!情熱の夜ーーっっ!!秋なんか大キライだ!涼しくなんてならなくていい!!オレは30度以上の季節が好きだっっ!!」
その夜。
快斗と新一の食卓に並んだものはデリバリーばかりだった。
もちろん快斗はきちんと話をしたので、特上にぎりはなかったが。
代わりに。
鯛の船盛りのお造り、にしん蕎麦、鱚のみの天丼、白身魚の甘酢あんかけ、アンチョビのピザ、小魚のダシのきいたラーメン……などなど。
「まさか、オレひとりでメシを食わすなんてことしないよな、快斗」
快斗に反論できようはずもなく、生きたままこの世の地獄を思う存分堪能したのだった。
end
2001.09.11