Hey,
darling!〜6
カチリ。
鍵を開ける音がして、誰かが入ってくる。
玄関で少し戸惑う様子。それから、そっとリビングを覗く。
当然、ソファーに寝ている者を凝視すると、ざっと室内を見回す。そして、そのまま静かに二階へとあがって行く。
知った気配だったから寝たフリをしてやり過ごした快斗は、ぐんと伸びをした。
「寝たなぁ。今、何時だろ」
腕時計で確認すると、とっくに夕餉の支度をはじめる頃。日が傾くのが早い時期だから、もう外は暗くなりつつある。
「マズ…買い物行かないと。この家何にもないからな」
コーヒーを入れる時、生活状況の把握とばかりに冷蔵庫の中を開けて見た。黄色い箱とミネラルウォーターしか入ってないのには、サスガに目が点になってしまった。
今までよくぞ生きていたものだと改めて思い知らされ、ため息しか出てこない。
体を起こすと、掛けられていたブランケットが落ちた。
「ありがとう」
風邪を引かないようにと気遣ってくれたことと、安らかな眠りをくれたことに。
やはり、新一の側は落ち着くと快斗はにんまりする。
「さてと、行ってくるかな」
彼女がいるから、取り立てて心配することもない。
マントルピースに設えてあるキーケースから車のキーをとると、上着を持って部屋を出て行った。
扉をそっと開けて、ベッドの上で安らかな寝息をたてている新一の姿を目に留め、哀は詰めていた息を吐く。
玄関の靴はきれいに並べられていたし、下に寝ていた者からは少なくとも嫌な感じは受けなかったから、それほど緊張していたわけではない。
それでも、短いとは言わない新一との付き合いのなかでは一度として見たことのない人間だったから安心できる状態でもなかった。組織にいた時に新一の身辺調査は徹底的にされていたが、そのリストにのっていなかったからこそ余計に。
「…どういうことか、聞かせてもらいましょうか。工藤くん」
いくら危機管理能力がない新一でも、誰彼ともなく気を許しはしない。友人関係にいる者にだって、一番無防備な姿をさらすようなことはしないのに。
寝起きの悪い新一を起こすだなんて何より面倒で時間を要する作業を、今ばかりは逃れるわけにはいかなかった。
「起きて、工藤くん。起きなさい」
頬をはたいて、掛け布団をめくって。耳元で目覚ましを鳴らして、大声で叫んで。
10分程繰り返していると、新一はぼんやりと目を開けた。それから、また10分程繰り返していると、ようやく意識がはっきりしだす。
「…ん……はい…ばら…?」
なんて呼ばれたときには、もう哀はぐったりとしていた。
「やっと…お目覚めね」
「え…と、朝か…?」
「何言ってるのかしら。今は夕方よ」
「じゃ…あ…まだ寝てて…いいんじゃない…か…」
重そうな瞼が閉じようとうとしている。今までの努力が泡と化そうとしているのには、さすがの哀もキレた。
「起きないと、あなたの大事な本を全部燃やしてあげるわよ」
「えっ?!」
本気で言われたことに瞬時に眠気が吹っ飛んだ新一は跳ね起きた。
「…………最初からこの手でいけば良かったのね」
もう一度ため息をついて、やっと目を覚ましてくれた新一を見る。
腰に手を当てて睨み据えてくる姿―――愛らしい少女の形をしているからこそ異様に迫力があって、新一は自分が彼女を怒らせることをしただろうかと首をひねった。
「下で寝ていたヒトは誰?あなたの知り合いのなかにはいなかったわよね」
「下で寝て…?…あ…」
昼間の出来事が蘇り、彼女の質問の意図を把握する。
「なんかよくわかんねぇんだけど」
「わからないヒトを家に入れた挙句に、ほったらかして悠長にお昼寝?」
責めるような口調に、慌てて弁解に走る。
「いや、身元は多分はっきりしている…はず」
「どういう?あなた、確かご両親に会いにいったのよね?」
「うん…それで押し付けられたというか…」
「じゃあ、ご両親の知り合い?」
「それが…その…なんか、オレも会ったことあるみたいなんだけど忘れててさ……何でも、父さんの隠し子らしいんだ」
「………は?」
まさかそんな返答をされるだなんて思っていなかった哀は、素っ頓狂な声を上げてしまった。新一も彼女に劣らない驚きをしたから、当然の反応と思う。
「だから…兄弟なんだってさ。まぁよく似てるし…」
「そういうヒトを忘れていたの?」
「今も、忘れたままだよ」
「結局、訳のわからないヒトだってことじゃないの。どうしてあなたはそんなに危険に対する意識が低いのかしらね」
哀は心底呆れ果てて、今までで一番盛大なため息を吐いたのだった。
哀が新一を起こすのに手間取っていた間に、快斗はというと。
手早く買い物を済ませて、夕餉の準備に取り掛かっていた。
「ほうれん草のお浸しと茶碗蒸と煮物、牛肉のたたきにお吸い物。で、やっぱり今日は赤飯だよな」
バランスよく考えた献立を、手際よく並行作業で作っていく。
冷蔵庫はその役目を果たせるように中はいっぱい詰まっていて、住人に見放されたキッチンも本来あるべき活気を取り戻していた。
背後の気配に、快斗は微笑みながら振り返る。
「起きたんだ。お風呂沸いてるよ。ご飯前に入ってきたら?」
「ああ……え、と。オマエ、料理できるんだな」
「そう言っただろ。もうすぐできるから、早く入っておいで」
「ん…」
まるっきり仕切られているのだが、新一には反論する気もなく言われるままにバスルームへと向かった。
「さて、彼女は何の用かな?」
新一がいなくなるのを待って、快斗の背後に立った哀。鋭く殺気に満ちた視線を背中に投げつけても、微塵の動揺も見せない男に一層眉を顰めた。
只者であろうはずがない。凡人には背中に目などないのだから。それなのに、全てが見えている者に畏怖を覚える。
「あなた、誰?どういうつもりで工藤くんに近付いてきたの?」
「どういうもなにも。オレは新一の両親に一緒に暮らすようにって言われただけだよ。だから、そういう物騒なものは必要ない」
哀に向き直った快斗は、小さな手が持つ鉄の塊に視線をやった。
「…確かに、よく似てるわね。それなのに、工藤くんはまるっきり覚えてない。彼のご両親だって、あなたを誰かと間違ってしまったってこともあるわ。それとも、あなたが故意に騙ったのかしら?」
「それは考えすぎ。今日の朝、突然あの人たちがやって来て、新一の面倒を見てくれって言ったんだよ。オレだって、まさかこんなことになるだなんて思ってもなかった」
「じゃあ、どうして工藤くんはあなたのことを忘れているの?」
「新一が忘れてしまっても、仕方が無いんだよ。それだけ結びつきが強かったから」
「忘れないと生きてこれなかったって言い方ね」
飄々としてつかみ所のない相手に、哀はどう判断していいかわからなくなる。虚言を並べているとは思えないが、見かけどおりの好青年とも思えない。
第一、小学生の少女が銃を突きつけて、まるっきり大人の口調で相対しているのに、驚きもなければ普通に対応しているのだから。
新一の両親からもしかしたら聞いているのかもしれないが、それにしても普通の人間の基準から遠く離れて見える。
「工藤くん、少し前まである事件に巻き込まれていたわ。だから、あなたも彼の側にいればとばっちりをくうかもしれないわよ」
「知ってる」
「そう、じゃあもう一つ。あなたが工藤くんを傷つけるようなことをしたら、私は絶対に許さないわ。殺すくらいは簡単よ」
「それも知ってる」
微笑んだまま、表情も変えずに返された言葉。
戸惑ったのは哀の方。
「前にもそう言われたからね。だからこそ、オレは君が好きだよ」
「あ…なた……まさか……」
狙い定めていた銃口は、全身の力が抜けるとともに下へと向いた。
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02.04.15
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