手持ち無沙汰の状態で、彷徨わせた視線の先。
目に留まったものに、つい顔をほころばせてしまう。
「ずい分調子がよさそうね」
「まぁ、最近は気の滅入るような事件はないし」
掛けられた声に揶揄する響きがあっても、自分自身機嫌がいいとわかっているせいでまったく気にならない。
「私は体のことを聞いたのよ」
「え?」
弾かれたように視線を戻すと、志保が何食わぬ顔して胸に聴診器を当てている。
笑うなりしてくれたなら、新一にはバツの悪さなんてなかったのに。不貞腐れたような気まずいような、何より恥ずかし気な表情を楽しんでいるのだから、性質が悪い。
「はい、いいわ。異常なし」
「……ありがとう」
文句も言えないまま、ぶすっとした口調で礼を言うと。ようやく志保は主治医の顔をやめて、微笑んだ。
「で?どんな楽しいことが待ち受けているの?」
「なにがだよ」
「あなたがそんなカオしてカレンダーを見るなんて。怪盗さんの予告日以外でもあったのね。ウキウキ具合からして、明日ってところかしら」
時に探偵並の推理力と観察眼をみせる志保にこれ以上追及されては敵わない。
何か逃げる口実を探そうとしると、タイミングよく携帯がなった。
「はい…あ、目暮警部………わかりました。では」
「事件?」
「ああ、じゃあな」
手早く衣服を整えると、扉へと向かう。
「いくら体調がよくても無理していいってことじゃないのよ」
「わかってる」
「それから、検査の前には痕を残さないように言っておきなさいね。そんなことで日延べさられるなんて冗談じゃないの。私にも都合ってものがあるんだし、決まった間隔で検査しないと意味ないんだから。わかった?」
背中に投げかけられた言葉に、飛び出していこうとしていた勢いもどこへやら。新一は恐る恐る志保を振り返った。
「だ、誰に…何を、言えって…?」
「あなたの恋人に、キスマークのことを、よ」
amnesia 2
資産家一族の当主の通夜に起きた事件。
大きな屋敷で人の出入りも多かったことから、早々と手を上げた警察は新一を呼んだのだった。
「被害者は、亡くなった持金氏の長男、金一氏の夫人。葬式の準備で色々な人が出入りしていてね。主だった人は金一氏と、その弟の銀次氏、持金氏の妹夫婦、葬儀社の者が10名ばかりと、会社の人間が数名…」
高木の説明を聞きながら、一面に広がる血溜りを見ていた新一が待ったをかけた。
「ここ、なんか不自然ですね」
「え?ここかい…?」
白い指が示した床を、高木が鑑識係に焦点を合わせて撮るようにと伝える。そこへ、大きな体をゆすりながら目暮がやってきた。
「工藤くん、監察医のほうからだが。やはり、頭部の打撲が致命傷だそうだ。他に外傷もないし薬物の検出もない。凶器はさきほどのガラスの灰皿だろう」
「そうですか、わかりました」
目暮に目礼して、部屋の隅々まで鋭い視線を走らせる。
第一発見者は被害者の夫。
通夜の席での飲酒のせいで酔っていたこともあり、事情聴取もやや錯乱気味のなかで行われた。しかし、供述のあいまいさから当然不審に思った者はいた。
「資産家の当主の葬式ですから、遺産相続に関する殺人が起こっても不思議ではないですが」
「殺されたのは長男の嫁や。相続には直接関係あらへんしな」
「第一発見者を疑うのはセオリーですからね」
「定番やけど無視はできひんわ」
新一と並んで、再度犯行現場を見ていた探偵2人は口々に言う。そして、意見を求めるように新一を伺ってくる。
「お前らにはお前らのやり方があるだろう。考えがまとまったら教えてくれ」
言い換えれば、オレにはオレのやり方があるから邪魔はするなということで。
共に事件解決をして意気投合したいという野望はもろくも崩れ去る。離れていく新一の背を見送って、白馬と服部は向き合った。
「…大体、どうしてキミはここにいるんです?」
「ふん、俺と工藤との仲やさかいな。どこでも一緒なんや」
「土、日休みというのは問題ですね。工藤くんの迷惑も顧みずに、学校帰りに大阪から直行するなんて」
「なんや、やいとるんかい。お前こそ、コソドロ専門のくせになんで殺人現場に来とるんや」
「僕も工藤くんも、事件は選びませんよ。一本だけにしぼる程、頭は固くないですからね」
「偉そうに!」
ぎっと睨みあって、お互いがライバルということを心底理解する。もちろん、気が合うはずは土台あるわけがなくて。
「どっちが早う証拠を見つけるか勝負や」
「望むところですよ」
フン、とそっぽをむきあうと、競争のスタートが切られたのだった。
「突然、兄貴が騒ぎ出して、もうビックリしましたよ!まさかこんなことが起きるなんて」
兄の金一に比べると容姿にしても身なりもビシッとしている弟は、憔悴の面持ちで高木の聴取に応えていた。
「その少し前に、金一さん夫婦が争う声を聞いたとお手伝いさんは言ってますけど、ご存知でしたか?」
「いいえ、まったく。もちろん、ヘンな人を見たとかそんなこともありませんよ」
「そうですか、では…」
高木は付き添っている新一に、質問することはないかと視線を送る。それに頷き返しながら、口を開く。
「2人が争うような原因について、なにか心当たりはありませんか?」
「それなんですけど…もしかしたら養子縁組のことじゃないかと」
「養子縁組…ですか」
「はい、税金対策もあって親父は義姉さんと養子縁組をしていたんです。それをどうやら兄貴は知らなかったみたいで…」
「金一さんは、事業を起こしていますね。あまり芳しくなかったと聞きましたけれど」
「ええ。だいぶ借金を抱えていたみたいで…その、言い方はよくないですが親父の遺産が入ることで持ちなおすことはできるんですよ」
ほっとした表情で継がれた言葉に、何時の間にか新一の側に寄ってきていた白馬が話しに加わる。
「遺産は、結局三人で平等に分けることになるんですよね」
「そうです」
「なら、兄弟2人で分けるよりも金一氏の取り分は多くなる。養子縁組の件を知れば、それこそ金一氏にはふってわいた幸運だったわけですよね?」
「まあ…」
「銀次さん。他に知っていることがあるんじゃないですか?」
何一つ見逃すまいとする白馬のきつい視線に、銀次の額からは汗が吹き出てくる。視点は定まらず手は忙しく動いていて、動揺している心のままをあらわしていた。
「あなたは正直な人ですね。今更誤魔化しても無駄ですから、言ってしまったほうがいいですよ」
「いえ…でも…っ」
「もし、犯人だとわかったうえで庇っているなら隠匿罪に問われることを知ってますよね」
まだ被疑者不明の段階では脅しでしかないのだが、白馬の見下すような視線と物言いは充分に威力があった。
「白馬くん、それはちょっと。まだ犯人は…」
「高木さんは黙っていてください。どうなんですか、銀次さん!」
「じ、じつは、義姉さんは別れ話を持ち出していたらしくて」
「なるほど。離婚するだけならまだしも、父親の遺産を持っていかれる。現場の状況からいっても突発的な犯行ですから、養子縁組のことを知って逆上した…と」
「ずい分と早計じゃないか?」
「ええ、わかってますよ。証拠は何もないですから」
たしなめる新一に、にっこりと笑ったところに。大きな音をたててドアが開き服部が飛び込んできた。
「見つけたで!証拠!お前はどうなんや?」
「僕も動機を見つけましたよ。君はどうなんですか?」
「そんなら、推理ショーでもしたるわ」
「仕方ないですから、君の推理の穴を僕が埋めてあげますよ」
再び睨みあって、牽制しあうこと数秒。
「「高木はん(さん)!関係者を集めてくれや(下さい)!」」
慌てて飛び出していく高木といがみ合いつづける2人に、新一はため息をついた。
日付はとっくに変わっていて、時計の針を眺めてはそっとため息をつく。
(早く帰りたいなぁ…徹夜はしたくないし…)
なんだか今日の現場はえらく疲れてしまって。誰の視界にも入ってないのをいいことに新一は背後の壁に寄りかかる。
(やっぱり…寝ぼけたカオでは逢いたくないもんな…)
志保にウキウキしていると言われた通りの自覚はある。なんといってもこの数日、早く過ぎてしまえばいいと待ち構えていたのだから。できるなら体調を万全に整えて、最高の状態でいたいと思ってしまっても仕方ない。
目の前では意気揚揚と服部と白馬が金一氏への追求をしているが、半分は聞き流している状態。とにもかくにも、さっさと終わることを願っていた。
「兄弟で2等分するはずの遺産を、奥さんをいれて3等分にしないといけなくなってしまった。しかも、持ち逃げされるようなものだとわかって、あなたは逆上したのではありませんか?」
「ち、違う!確かに離婚のことでもめていたが遺産のことなんて!そ、それに私は酔っていて記憶があやふやで…!」
「けどな、あんたは奥さんの悲鳴を聞いて駆けつけたっていうたけど。あんたがこの部屋から出て行くのも、そしてまた入っていくのも見た者はおらへんのや。それに遺体には近付いておらんはずやのに、これはなんや?!」
服部が取り出したのは、礼服一式である。黒のスーツやネクタイには至る所に赤黒い染みが。そしてワイシャツは鮮やかなまでに赤い染みがあって、何であるかは一目瞭然。
「あんたは、犯行時に奥さんの血で服を汚したからもう一着持っていた礼服に着替えたんや。箪笥の二重引出しに隠してたつもりやろうけどな、俺の目は誤魔化されへんで!」
つきつけられた証拠に、金一はガタガタ震えながらその場に蹲る。
「し、知らない!知らない!気がついたら死んでたんだ!も、もみ合ってるとこで急に意識が…っ私じゃない!本当に私じゃないんだ…っ!」
「言い逃れはできませんよ。動機も証拠もそろっているんですから」
首を振りながら泣き崩れた男を、目暮の指示をうけた警察官が左右から腕を掴んで立たせる。それ以上の抵抗もなく、素直に連行されていく。
それを黙って見ていた新一は、重い体をよいせと起こして、人々に連なって部屋から出た。
(…そういえば…寝不足気味だったんだよな……これって浮かれすぎなのか…)
彼が約束をしてくれた日から興奮状態にあることをようやく認識して、誰に知られているわけではないが恥ずかしくなる。
『じゃあ、待っている』
そのコトバが何度も何度も頭のなかで響いて、その都度心の底から昂揚した何かが湧き出てきて。きっとこれが幸せなんだと実感した数日だった。
「クックク…」
抑えきれなくて漏れてしまったくぐもった笑み。どのみち人気ないことは確認済みで、見咎められることもない。
人々の混乱は、逮捕され移送されている犯人とともに階下へと移っていっている。
犯行現場となった一室のある3階、その廊下の突き当たり。非常階段になっている扉を開けて外へと踏み出す。
夜風に髪を煽られながらも満足のいく風向きに、口元を一層歪めた。
視線の先にあるのは、大きな池。それを臨むように建てられている屋敷ゆえに、水面はすぐ下に迫っている。
スーツのポケットから取り出したものを握り締めた。
「これで全部、俺のものだ!」
池に向かって投げようとして、高く腕を振り上げて――――手首をひんやりとしたぬくもりが包んだ。
「ダメですよ。証拠を隠滅しては」
ギクリと身を竦ませた拍子に、緩んだ指の間から零れ落ちたモノ。
それは、差し出された新一のもう一方の手のひらへと収まる。
「な、な…にを…!君は…っ」
うろたえる様を見据えるだけで縫いとめて。静かに言った。
「これで、金一氏を眠らせ、その間に夫人を灰皿で殴り殺したのですね」
「そ…んなこと…なんで私が…っ!」
「夫人にも相続権があったせいで遺産は3分の1。金一氏を殺人犯に仕立て上げて殺してしまえば財産は全てあなたのもになる。もちろん、そのための殺人の動機は遺産問題でなければならないから、あなたは諍いの原因である夫人の男性問題ではなく養子縁組のことを持ち出した。銀次さん、違いますか?」
「う…っ!く…」
30底々のエリート風の整った容貌、それなのに目は血走り顔色はなくなって、新一の言葉に間違いないことを認めていた。しかし、悪あがきに走る。
「だが…!それがあったからと義姉さんを殺した証拠にはならないだろう!」
「無論、証拠はこれだけではありません」
きっぱりと言い切った新一に、なによりその眼差しの強さに。もうなにを反論することもできなくなって、銀次は脱力するかのように階段の手すりに縋りついた。そこへ。
「工藤!どこや?!」
「工藤くん?!」
聞こえてきた2人の声。そして、開かれようとした扉。
新一の注意がそちらに向いた一瞬。
緊縛していた強い眼差しが解かれた刹那。
目的をもって伸ばされた手は、重さのない新一の体を突き飛ばした。
「…っ?!」
反射的に受身の姿勢をとり、冷静な頭の片隅に映った手摺。
重力に身を任せながらも、掴もうとしたけれど。
勢いよく開かれた扉に弾かれて。
そのまま、新一の体は宙を舞った。
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02.05.26
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