『一体いつから付き合っているの?』
不思議そうに尋ねた母。
それに答えられなかったことに、快斗は今更な疑問を抱いてしまった。
どうして自分は彼女と付き合っているのだろう、と。







月の眠り. 3







二人で肩を並べて歩くと、必ず周囲の目が集まってくる。
快斗は紅子を横目に見て、仕方ないと思った。
透き通る白い肌、潤いに満ちた黒い髪、女性として完璧なプロポーション。
何よりも印象的なのはどこまでも見通すかのような闇色の瞳と、微笑みを浮かべれば心穏やかでないられなくなる朱の唇。
どこをとっても文句のつけようのない美貌は同性からも憧れを寄せられる程だが、彼女独特の妖しい雰囲気は容易に他人を寄せ付けるものではない。
だから、いつも遠巻きに見ている者に囲まれて咲き誇っている艶やかな高嶺の花だった。

「何かしら?」
「いや…」
見ていたのに気付いた紅子が、頭一つ分高い快斗を仰いでくる。
確かに彼女は美しい。
けれど、今まで快斗がその美しさを賛美した覚えはついぞないし、顔の美醜など皮一枚の違いでしかないから造形に拘るのは愚かなことでしかない。
「黒羽くん?あなたどこか変よ。一体どうしたの?」
「悪い」
心配そうに声をかけてくる紅子に、またも考えこんでいた自分に反省しながら謝罪をする。
しかし、それで誤魔化されるはずもなく快斗に言葉を重ねてきた。
「昨日も学校をさぼって公園でぼんやりとしているんですもの。その調子だと青子さんも気付くわよ」
「ああ…気をつける」
幼馴染の名前を出されれば、快斗とていつまでも自分の中に篭ってばかりもいられない。それをわかって紅子は言っているのだろう。
けれど、夢見の悪さに今朝も叩き起こされて、何とも言い知れないもやもやとしたものが心の中を支配している状態では形ばかりの返事しか返すに至らなかった。



「黒羽くん」
「…あ」
何時の間にか立ち止まって前に回りこんでこちらを見ている紅子に、名前を呼ばれ我に返る。
注意されたばかりなのにこの有様では、さすがに罰の悪さを感じる。謝罪をしようにも先ほどしたばかりだから、真実味もないだろう。
当惑して返す言葉を探していると、気にした風でもなく紅子が口を開いた。
「青子さんに頼まれたものがあるの。ちょっとそこのお店に行ってくるからここで待っていてもらえるかしら?」
「ああ、わかった」
「そんなに時間はかからないわ」
言い置くと踵を返して、指し示した店へと入っていく。それを見送って、快斗はガードレールに寄りかかりながら改めて周囲を見回す。
洒落た店が連なるショッピング街の一角は、紅子と別れる交差ロから少し先にあるところだ。
きっと、ここに寄ることを歩きながら話題にしていたはずだ。だが、快斗は聞いてもいなかったし、いつもと違うところを通っているのさえ気付かなかった。
(まったく…どうしたっていうんだ…)
夢のこととか、母の言葉とか。そういう釈然としないものに惑わされているのは確かだけれど。
(なんだろう…これは…)
心を支配しているもやもやは、ジレンマにも似た焦りのような感覚だ。重く沈んだ澱は、本当ならきちんと昇華できていたはずのもの。
「ハァ…」
軽く頭を振りながら、重苦しい気持ちを追い払うように息を吐く。
昨日から繰り返している失態は、父の背中を見て育ってきた快斗にとっては実に情けないことだ。
気分転換とばかりに、辺りを見回す。
梅雨時の空は今にも雨が降り出しそうな暗い空。それと裏腹な鮮やかなカラーのショウウィンドウやポップな看板。そして、道行く人たちの夏らしい涼やかな身なり。
(―――あ、)
何気なくさ迷わせていたはずの視線は、必ず色彩に合わさっている。無意識の行動に、快斗は昨日のことを思い出す。
紅子が声をかけるまで、ずっと空の青を見ていた自分を。
「探しているのか…?」
(…あの蒼を…?)
どうしてかは分からないけれど、それほど夢の名残が強烈だということだろう。そうとしか説明がつかない。
快斗の記憶には、夢以外で見た覚えはないのだから。こんなにも乞う理由なんて心当たりがない。
(そもそも、どうしてあんな夢――)
堂々巡りのように最初に戻ってしまう疑問に再び突き当たって。それでも、視線はそこらをさ迷っていて。
「―――っ?!」
ふと目に留まったのは、ビルに掲げてある大きなテレビの街頭ニュース。何の映像か認識する前に、快斗の意識に唐突に切り込んできたもの。
(眩しい…ッ)
目が眩んで、ぐらりと傾ぐ体。
咄嗟にガードレールに手をついてやり過ごすが、小刻みに震える指先に愕然としてしまう。
(な、んで…?!)
自分のカラダの只ならぬ変化。そして、忙しく動いている鼓動の様相に、今全身を駆け抜けたものが何であるのかを快斗は知った。
「…恐怖、なんて…」
どうしてそんなものを感じなければいけないのか。
心にあいた穴を埋めるように、そんな風に求めているはずだったのに。
探していた"蒼"を、快斗はまともに見ることさえできなかった。


拳を強く握り、やり過ごそうとするけれど。
時間が経てばどうにかなると思っていた異変は、治まるどころかひどくなるばかり。
「…くそ…っ…」
思わず悪態をついてしまう状態は、今まで経験したことがないせいだ。
額に滲む汗も、ずきずきと痛む頭も。心の奥底から沸き起こってくる、自分のものではないような未知の感覚も。
快斗自身どうしていいかまるでわからなくて、それが余計に混乱を来たす。
「どうして…」
こんな状態に陥いっているのか。
原因となったことは明確だが、自分に対してそれがどういう意味を持っているのかが理解できない。
「…あの、蒼…一体…」
あの瞬間、あのテレビに流れた映像。
視界に飛び込んできた"蒼"が強烈だったせいで、思い出せない。
街頭ニュースだから、公共性のある話題だったはず。
「……痛っ…!」
傾いでいた頭を上げようとして、頭に鋭い痛みが走った。
一定の間隔で繰り返し流しているから、また見ていればもう一度同じニュースを目にする可能性はあるのに。
痛みに邪魔をされて快斗はどうしても視線をあげることができない。それどころか、ここにいることさえ辛くなってどうしようもなくなる。
訳のわからない恐怖は、かつて感じたことのなかった不安を呼び覚ます。
体を預けていたガードレールから離れると、快斗の足はひとりでに動き出した。
視線の先には、先ほど紅子が入っていった店がある。
(彼女に…会いたい…!)
自分のことなのに、快斗には理解できないことばかり。
それでも、心は素直に紅子を求めているのはわかる。
「…紅子」
入り口から姿を認めて囁くように呼ぶと。艶やかな黒髪がふわりと舞って、驚いた表情を見せた。
「どうしたの?」
音もなく駆け寄ってきて快斗の手をそっととる。
先日と同じで、重なりあった指先からは冷ややかな気配が伝わってくる。
(……あぁ…)
みるみるうちに払拭されていく恐怖と不安。
穴があいた心を埋めるように、乾いた心が潤うように。ただ満ちていく心を感じる。
快斗は只管に安心した。
まるで紅子は快斗の心の半分か、そのもののような感覚さえいてきて。
なぜ自分が彼女と付き合っているのか、快斗はようやくわかったような気がした。




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05.07.05

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